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中日のことわざにおける動物ことわざの比較考察氏名:周 彤指導教師:阿部诚
要 旨要旨言葉というのは、その国の文化を伝承している伝承して運ぶものであるが、ことわざは千年来の、人間の知恵と経験の洗練された結晶である。中国語にしても、日本語にしても、動物にかかわることわざが特に豊富である。人間は動物と一緒に生活した歴史が長いため、民族の動物に対する好き嫌いなどいろいろな民族それぞれの抱くイメージが生まれた。それぞれの国の人々の動物に対する見方がどのように異なるのか、よくことわざが表現している。同じ動物が日中のことわざの中で、同じようなイメージを持つことがあるし、異なることもある。そこで、両国のことわざの中の動物の使用頻度を統計し、動物のことわざを対照的に研究しようと考えた。動物のことわざについての研究を通して、日中両国動物のことわざの異同とその形成原因を考えようとするものである。本稿では中日両国のことわざの中に存在する動物に関することわざを整理し、機能的な考察を行った。さらに、それぞれの動物が両国のことわざに出てくる頻度の統計を行い、その中から中日の動物に関する諺によく使われる五種類の動物を選んで、そのイメージに対する分析を通して、対称的に考察した。論文は以下の部分に分かれる。第一章序論で、研究の目的、意義、範囲、方法などを簡単に紹介した。また、両国のことわざの定義と先行研究を概説した。第二章本論で、魚、馬、牛、猫、犬を中心に、中日動物のことわざを対照的に考察し、中日の動物のことわざの異同を探り、その原因を分析した。第三章は両国の架空の動物に対する考察である。中国語では竜、鳳を対象として、日本では河童を対象をとして簡潔に考察した。キーワード:中日;ことわざ;動物
中文摘要中文摘要谚语作为一个国家文化传承的载体,是这个国家的人民经过千百年来总结的智慧与经验。无论在汉语中还是日语中,关于动物的谚语在两国的语言中都是极为丰富的。人类与与动物共同生活的历史尤为漫长,也因此每个民族产生了对动物或是喜爱或是厌恶的独特印象。人们对一种动物又怎样的看法,在谚语中常常会有所体现。即使是同一种动物在中日谚语中也有区别。通过对相关动物的使用频率的统计,对中日动物谚语进行对比研究。同时能过从两国动物谚语的研究中发现中日两国国民性,文化等方面的异同。本篇论文对中日两国谚语中有关动物的谚语做了初步的归纳与整理,并按照不同动物出现的频率制作了一张表格。并选择其中五种有代表性的动物加以分析研究。通过对比研究,发现中日谚语中异同点形成的原因。第一章为序论,首先对研究的目的、意义、范围、方法等问题进行简单介绍。然后从中日两国的角度出发,介绍谚语在中日语言文化中的定义。最后对部分的先行研究进行了总结说明。第二章是本论,也是本篇论文的重点。重点对鱼、马、牛、猫、犬进行对比研究。探究这些动物在中日谚语中所表达的意象的相同点与不同点,并分析原因。第三章是关于两国虚拟动物的研究。中文中以龙与凤为代表,日语中以河童为代表进行简单的研究。关键词:中日;谚语;动物
目次はじめに.................................................................1第一章 序論........................................................2 1.1研究の目的と意義...............................................2 1.2研究の範囲と方法...............................................2 1.3中国のことわざの定義について...................................3 1.4先行研究.......................................................4第二章 本論........................................................52.1総論..........................................................52.2魚に関することわざ.............................................52.3馬に関することわざ.............................................72.4牛に関することわざ.............................................82.5猫に関することわざ.............................................92.6犬に関することわざ............................................10第三章 架空の動物に関することわざ.................................12 3.1中国の竜と鳳凰................................................12 3.2 河童について................................................13おわりに...........................................................14付録...............................................................15参考文献..........................................................19謝辞...............................................................20
はじめにはじめに言葉は人類の最も重要なコミュニケーションの道具として、平等に社会全体で使われている。また、ことわざは一つの民族が長期にわたって、人々の生活経験によって発展した言葉の結晶であり、更に、民族の知恵と文化が含まれていると考える。ことわざは庶民の生活の中で生まれた。そして、世間で広く語り伝えられてきた。一部のことわざは、ある時代の中で消えてしまったが、多くの世代から世代へと語り伝えられてきた。ことわざは長い時間をかけて、それぞれの時代に選択され、今日でも我々が日常生活でよく耳にするものや使用するものが多くある。周知のように、ことわざの種類は非常に多く、生活のさまざまな面に及んでいる。たとえば、気象、農業、哲学、教育などさまざまな面である。ことわざは短いが、具体的な道理を表している。ことわざの中で、動物のことわざが特に豊富であると感じた。それは人間が長期に動物と一緒に生活し、それぞれの民族ごとに動物に対する好き嫌いなどさまざまなイメージが生まれたからである。歴史の移り変わりにしたがって、人々は動物の特徴や動物そのものに対する見方を生き生きとことわざの中に表しているのである。つまり、多くの動物にかかわることわざは生活の知恵や、現実への鋭い風刺を表しているのである。中日両国は別の民族であるから動物に対する見方には相違点もあるし、共通点もある。そこで、両国の具体的な動物を比べることを通じて、その異同を探り、動物のことわざの中に見られる、両国の文化の異同について考えたいと考えたのである。19
第一章 序論第一章 序論1.1研究の目的と意義 中国と日本は一衣帯水の友好的な隣国だ。両国の長い歴史の発展過程で、言語と文化の上の交流は当然欠かせないものであった。ことわざは一つの国家、一つの民族の言葉の結晶として、更に鏡のように、この民族の地理環境、風土と人情、文化の背景などが反映されている。同時に、中国語においても、日本語においても、動物に関することわざの比重が大きい。このようなことわざは、生き生きして深い哲理を含んでいる。本文では両国の動物に関することわざから出発して、中日のことわざの中で、異なる動物が示すところの異同の比較研究を通じて、そのような異同が生じた原因を考察した。1.2研究の範囲と方法研究したことわざの範囲については、日本語と中国語それぞれ一つずつの辞書を対象とした。それは『現代中国語辞書』<現代日本語辞書>中国社会科学院言語研究所辞書編集室 改正版1998年商務印書官館と『日本常用諺語成語辞典』<日本常用諺語成語辞典>叶琳南京大学出版社2007年4月第一版である。中国のことわざにかかわる辞書としては、『現代中国語辞書』を選んだ。この本は中国社会科学院言語研究所辞書編集室によって編纂されたもので、多くの本の中でも特に権威がある。また、この本の中に含まれている中国のことわざは広範囲で、解釈も比較的詳しい。最も代表的な辞書を使用して調査したといえる。日本のことわざについては、「日本常用諺語成語辞典」を使用した。この本は、南京大学の叶琳先生が主筆となって編纂されたものである。この辞書は、日本のことわざに対する説明が分かりやすい。また、中国語式のことわざを含んでいるので、中国文化の日本のことわざに対する影響について研究するのに非常に役立つと考えた。動物に関することわざの研究の範囲を説明する。動物の名称が現れなくても、動物の意味を含むことわざであることがはっきりしているもの、また架空の動物を表すことわざも研究範囲とした。さらに、ことわざの中に使用される動物の種類が多かったので、全部取り上げることができなかった。ここでは特に数19
第一章 序論の多いものを選び、対象範囲は魚、馬、牛、猫、犬とした。また架空の動物の対象範囲は竜、鳳、河童とした。 研究の方法については、まず、異なる動物が両国のことわざに出る頻度の統計を行い、その使用率のトップ10を選び、次に具体的なことわざを比較検討し、最後に両国の架空の動物、中国の竜、鳳凰、日本の河童のことわざも簡単に考察した。1.3中国のことわざの定義について諺とは、昔の人々によって言い伝えられてきた言葉である。これらの言葉は、長くはないが、鋭い風刺や教訓、生活の知恵や一般的な真理を表すことができる。中国では、ことわざは一般に「諺」とか「語」とか、あるいは「諺語」とか呼ばれている。近代になると、中国のことわざは広義の定義と狭義の定義が生まれた。広義のことわざとは、人々の生活の中に広く伝わっている俚諺、俗語、熟語のすべてを指すという見解である。それに、慣用語、歇後語なども含まれている。これに対し、狭義のことわざは人間の経験の結果によって、美しい言葉を使って表現され、日常の会話で、人間の行為を規定する言語であると定義している。日本でも、ことわざにも広義の定義と狭義の定義がある。藤沢藤沢衛彦(ふじさわもりひこ、1885年8月2日 - 1967年5月7日)は、福島県生まれ。日本の小説家、民俗学者。によれば「広義とは、どんなことばでも、一定の形をとって、俗間に伝唱されれば、みなことわざである」としている。藤沢によれば、日本語の慣用句、歌謡、なぞは、すべてことわざということになり、「ただ一つの形容詞であっても、それが一定の形をとって、常にある種のことがらを形容するものとして知られていけば、それはすでにことわざである」とまで述べている。狭義のことわざについて、藤沢は、「ある種類の教訓、警戒、風刺、またはその他の視察経験による知識をいいあらわしたものである」と考えている。ここでは、中日とも狭義のことわざを考察の対象とした。19
第一章 序論1.4先行研究中日両国はどちらも長い歴史を持っているので、言語のことわざが豊富である。したがって、ことわざについての研究も多い。中日のことわざの比較はより多くの人に注目されている。ことわざの起源と発展状況を比較するとか、ことわざから中日の文化の異同をみるなど、様々な研究がある。動物に関することわざも多く、簡単に単に一つの国家の角度から捉えたものや、複数の国のことわざを比較して考察したものがある。中国での「動物に関することわざ」の先行研究は多いが出版物は非常に少なく、多くの図書館を探しても見つけることができなかったが、私の知り得た中国における先行研究をまとめて、簡単に説明する。武青『ことわざから見た日本人の国民性の特色———魚に関することわざを中心に』では、作者は魚に関することわざを出発点として、独特な魚のことわざの研究を通して、日本民族の国民性の特色を見出している。そして、日本民族の海洋性形成の原因を探求している。周巍『ことわざから見る中日の文化の特徴—馬、魚、猫を例として』では、中日両国言語の馬、魚、猫3種類の動物に関する諺を選択して、諺の分析と研究をし、文化の特徴の上での相違点を検討している。張巍巍『中日両国の諺における動物イメージ———「十二支」を中心に』では、十二支の順番で研究を行って、それぞれの動物に関することわざを説明している。十二支にかかわる中日のことわざを分析し、その共通点と相違点をまとめ、その原因を考察した。また、この研究には、中日両国の経済、文化などの方面における交流の研究も含まれている。19
第二章 本論第二章 本論2.1総論 次の表1は『現代中国語辞書』「現代中国語辞書」中国社会科学院言語研究所辞書編集室 改正版1998年商務印書官館と『日本常用諺語成語辞典』「日本常用諺語成語辞典」叶琳南京大学出版社2007年4月第一版を調べて、動物にかかわる中日のことわざを統計した表である。 これら二つの辞書の中から動物に関することわざを選び、動物の種類別に、数を数えた。この表は、その内の主な動物各十種を表したものである。 表1動物にかかわる中日ことわざの中に動物の使用率 トップ10中国語動物諺数(355個)日本語動物諺数(225個)名称使用率(回)百分比名称使用率(回)百分比魚4211.8%魚3013.3%馬329.0%馬2812.4%牛215.9%猫188.0%犬174.7%犬167.1%鳥154.2%牛167.1%虎123.4%虎125.3%鶏92.5%蛇94.0%鼠82.2%蟻83.6%兎61.7%兎62.7%猫51.4%猿52.2%2.2魚に関することわざ 表1から見ると、中日のことわざの中で、魚にかかわることわざの使用率が両国とも一番多い。しかし、日本の諺に出てくる魚は鮟鱇、鰻、鯛、鰯、鯖、ゴマメ、河豚。中国の諺にでてくる魚は泥鰌、鯉、鯰、などである。前者はほとんど海の魚であるのに対して、後者はほとんど淡水魚である。なぜそのような違いがあるのかということについて原因を以下の通り考察した中国の国土は広く、淡水資源が豊富で、人々が見るのは大半が淡水魚だ。魚類は一万六千種あるが、中国の慣用句にはただ三、四種類ぐらいしかない。こ19
第二章 本論れは、中国は大陸で古くから、典型的な農耕社会だったということと関係があると考える。 さらに、漢字の「魚」と「余」は同音(yu)なので、多くの魚にかかわることわざは積極的な、良い意味を表現している。その中には具体的な魚の名を挙げる諺もある。たとえば、「鲤鱼跳龙门」は登竜門と同じ意味、「鲇鱼上竿」は鰻登りとの同じ意味だ。しかし、泥鰌にかかわることわざには嫌悪感がある。たとえば「池塘里的泥鳅掀不起大浪」才能と学識がない人は成功しないことを例えている。日本の魚に関する諺を見れば、数は中国より多い。海に囲まれた地理環境の日本は、海の幸に恵まれている。魚はもう日本人の日常生活に溶け込んでいて、毎日の食卓に欠かせない。今日の日本ではすでに魚を中心に独自の食文化が築き上げられている。たとえば、刺身は日本の料理の代表をとして、全世界で注目されている。日本人は魚を食品としてばかりではなく、豊かな魚文化として捉え、日本民族の文化の中でも非常に重要な役割を果たしている。たとえば、鯛は色彩が華麗で味も優れていることなどから、魚類の代表的なものとして、祝事などに用いられるようになっている。このことから「めでたい」(この中の「たい」は鯛と同音であるから)という好ましい感じがする言葉と関連しているからだといわれる。 たとえば○魚は鯛、花は桜木、人は武士 ○鯛の尾より鰯の頭○腐っても鲷 ○えびで鯛を釣る などである 中国と同じように、日本の魚にかかわることわざは良い意味が多いが、よくない意味もある。たとえば、「鰯網で鯨を捕る」は意外な収穫や幸運をえることを表すが、「鮟鱇の待ち食い」はご馳走にありつこうとする者などを冷やかして言う。また、人間は魚と密接な関係があるので、魚と水の関係についての諺もたくさん作られている。たとえば、「魚心あれば水心」は魚に心あれば、水にもそ19
第二章 本論れに応ずる心があるという比喩的な意味である。2.3馬に関することわざ 表1から、中日とも馬に関することわざの使用率は「魚」に次ぐことがわかった。中国は世界でも古くから馬を飼う国家である。「馬」の文化は中華民族の進歩に伴って、さらに、大きく発展してきた。 古くから、人々は馬を手なずけ始め、徐々に古代人の交通輸送力になり、ひとびとの普段の生活に密着するようになった。そして、日常生活の中で、人々は馬を借りて、人のことを例えたのである。つまり、ことわざを通じて、ある種類の教訓、警戒の意味を表わそうとしたのである。たとえば○人要炼,马要骑○人有措手,马有失蹄○马不打不奔,不人激不发○人奔家乡,马奔草○人怕理,马怕鞭,蚊虫怕火烟○路遥知马力,日久见人心などである。 馬は中国の古代の戦争に大きな影響に与えている。春秋時代から、各王朝の帝王はすべて馬の背で国家を勝ち取った。古代の戦争の中で、騎兵が強いと、軍隊は強く、国家は強いと言えた。そのため、たくさん戦争に関連した馬のことわざが現れた。 たとえば○一马不跨双鞍○兵马未动,粮草先行○战马栓在槽头上要掉膘,刀枪放在仓库里会生锈などである。昔の人は馬に対して好感を持ち、馬に頼っていた。そのため、馬に関することわざはよく積極的で楽観的な意味を与えられている。19
第二章 本論日本にも馬に関することわざがたくさんある。 たとえば○馬には乗ってみよ人には添うてみよ○鞍上人無く鞍下馬無し○老いたる馬は路を忘れず○馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない○馬持たずに馬貸すな○馬の籠抜け○馬の耳に念仏などである。 これらのほとんどは馬の乗り方、馬の特徴、馬と人間の関係から作られたものである。その中には、たくさん悪い意味を含むことわざがある。たとえば「馬も買わずに鞍買う」は、本末転倒の人を風刺している。「馬の耳に念仏」は馬に念仏を聞かせてもそのありがたみがわからないということから、言い聞かせてもその価値がわからない人を批判している。 以上のことから、中日両国は馬の利用、馬に対する認識については共通するところが多いということが分かった。2.4牛に関することわざ 中国の長い歴史の中で、牛は農作物を耕作して、人々と互いに頼り合って生きてきた。『易经』《周易古经今注》(重订本).高亨著.北京:中华书局,1984に「乾为马、坤为牛」と言うことばがある。乾坤は天地だ。乾は天,坤は地、つまり牛は地のシンボルという意味である。中国人の見るところでは、家畜である牛は労苦に耐え、労苦をいとわない性格を持っているので、他の家畜より重要な地位を占めている。そのため、牛を褒めることわざがたくさんある。 たとえば○牛耕田,马吃谷○好牛不停犁19
第二章 本論○牛有千斤之力,人有倒牛之方などである。 しかし、小さな島国である日本では、人々は島に住み、魚介類を食べるが、牛の恵みとよいことに対しては、それほど多くのことを知らなかったのではないであろうか。その上、『花は桜、人は武士』という精神を持つ日本人は牛のひたすら耐える性格を許さないのではないかと考えられる。そのため、牛は愚かで、不器用なことのシンボルになってしまったのではないかと考える。 たとえば○牛の歩み○牛のよだれ○牛に経文○牛に食われる○牛のたごぬけ○牛を馬に乗り換えるなどである。2.5猫に関することわざ日本の猫にかかわることわざの数は、中国の4倍に近い。これは日本人が猫に対して好感を持っているためだと考える。猫は日本人の家庭の特別な一員として、人間と一緒に長く暮らしていて、日本人の生活に大きな影響を与えている。日本文化の中で、「猫」は特別な地位を占め、もう一種の文化現象になっている。日本人は自分の気持ちや生活の知恵を、猫を借りて表現する。猫に対する好感を言語の中に、あるいは文学作品に移転させている。この現象は長い間に渡って、知らず知らずのうちに日本民族の一部分になったのである。しかし、日本人は猫が好きではあるが、猫のことわざは悪い意味のほうが多い。 たとえば○猫に小判○猫の手も借りたい○猫の額19
第二章 本論○猫をかぶる○猫の手も借りたい○猫は三年の恩を三日で忘れる○猫は虎の心を知らずなどである。これらはいずれも悪い意味を持っている。中国語の中で、猫にかかわることわざもたくさんある。しかし、こうしたことわざはほとんどが一般的な動物の行動描写を素材として使っているだけである。 たとえば○猫怕过冬,狗怕过夏などである。そして、中国のことわざも猫の鼠を捕らえるという才能に着眼して物事を例えている。 たとえば、○老猫不在家,耗子屋上爬○不管白猫黑猫,逮到老鼠的就是好猫などである。2.6犬に関することわざところで、中国の文化では、猫に関係する文化が少なく、猫より犬の方が中国では人気がある。中国のことわざの中で、犬の使用率は猫の3倍以上である。私は、中国人は動物の中で犬を最も良い友達だと思っていると考える。農村では、人々は犬を飼って留守番をさせている。また、都市の人々は人と人の交流が少ないために、犬を飼って生活の寂しさを埋めている。中国人は犬が好きでありながら、同時に多くの悪い意味の犬に関することわざを作っている。 たとえば○狗眼看人低 ○狗仗人势○狗改不了吃屎19
第二章 本論○狗嘴里吐不出象牙 日本語のことわざでも、犬はよく悪い意味を表している。 たとえば○犬に論語○犬の川端歩み○家の前の痩せ犬 ○犬の糞で敵を討つ ○犬の遠吠え ○犬骨折って鷹の餌食になる ○犬も歩けば棒にあたる ○犬も食わぬなどである。19
第三章 架空の動物に関することわざ第三章 架空の動物に関することわざ 3.1.中国の竜と鳳凰 竜は古代中国の伝说的な動物だ。神秘的な特徴があるので、中国のことわざには、「神龙见首不见尾」ものがある。このことわざは神秘的な人をたとえている。竜の姿については、『中国の妖怪』『中国の妖怪』中野美代子 岩波書店 1992年11月8日で「三停九似」を述べている。「頭から肩、肩から腰、腰から尾と体を三つの部分に定めるのを三停という。九似とは、角は鹿に似、頭は駝に似,目は鬼に似、項は蛇に似、腹はみずちに似、鳞は魚に似、爪は鷹に似、掌は虎に似、耳は牛に似ているということだ」。ことわざの中で竜の現れる場所、身を寄せる場所を、次のように言っている。○龙无云不行、鱼无水不生○擒龙要下海、打虎要上山 これによって、竜が雲に乗り、海に出ることができるということがわかる。古人が竜に対する敬慕の念を持つのは、竜が天に昇り、海に入ることこができるからばかりではなく、更に竜が雲になって、雨を降らせることができて、庶民に幸福を招いてくれるためである。古くから「二月二,龙抬头」といわれている。これは人々の竜を仰ぎ、雨乞いし、豊作になるよう願う祭りのことである。 竜はすでに中国社会の様々な面で、一つの文化として重要な意味を持つようになっている。中国人は竜の子孫であることを自称し、「龍馬精神」という元気旺盛な精神を持っている。これらのことから、竜が中国の文化の中で重要な地位を持ち、中国人に大きな影響を与えていることがわかる。鳳凰は竜に似た、古代中国の伝説上の動物だ。中国人の鳳凰に対するイメージは龍とあまり差がないと考えられる。中国人は鳳凰に対しても敬慕の念を持ち、鳳凰に関することわざはよい意味を表現している。竜に関することわざは日本にも「竜頭蛇尾」、「竜と心得た蛙子」など中国から伝来したと思われるものがあるが、鳳凰に関することわざは日本にはみられないようである。19
第三章 架空の動物に関することわざたとえば○龙生龙、凤生凤○飞上枝头变凤凰○凤凰涅槃、浴火重生などである。3.2 河童について 河童の伝説は、中国黄河流域の上流に起源がある。昔の中国では、「水虎」別名「河伯」と呼ばれた。「河伯」の伝説が日本に伝わった後、日本人ならだれでも知っている河童になったのである。河童は水界に住むと考えられている動物なので、水と相性がよい。そのため、多くの河童のことわざは、水と関係している。 たとえば○河童に水練○河童も一度は川流れなどである 日本の伝説の中で、河童は妖怪として人々を恐れさせた。そのため、日本には、災難を形容することわざもある。たとえば「河童灭頂」はその例である。 中国には「河伯」に関することわざは特にないようである。 19
おわりにおわりに 本論によって、馬の利用、犬と人の関係、およびそれらに対する認識において中日に共通することがたくさんあるが、魚、牛、猫などにおいては大きく異なることが分かった。 これら三つの動物がイメージの異なる原因は、以下の三つに分けることができると考える。 第一に、自然条件の差である。中国は国土面積が広大で、西高東低の地形をしており、たくさんの河川のある国だ。もし、中国の天然の河川を一つにつなげば、全長は43万キロメートル以上に達し、淡水資源が豊富であり、中国の人々は川魚を食べている。そのため、魚に関することわざには、多くの川魚が現れる。たとえば鰌、鯉、鯰、などである。これに対し、日本は海に囲まれた島国で、海の魚資源が豊富で、人々はことわざを作るときに多くの海の魚を使用したと考えられる。 第二に、効率の重要度の差である。ていねいに耕作する古代の中国人は、牛の助けに依存していたため、たとえ動作が緩慢で効率が高くなくても大丈夫だと考えていた。牛は必ず人々の仕事を助けたのである。しかし、日本人は同じようには考えなかった。中国人より、日本人は工作スピードが気になり、牛のゆっくりした行動を許さなかったと考えられる。そのため、牛は愚かで、不器用なことのシンボルになってしまったと考える。 第三に、動物に対する認知の差である。中国語の中で、猫にかかわることわざもたくさんある。しかし、こうしたことわざはほとんどが一般的な動物の行動描写を素材として使っているだけである。日本では、表面的な認知にとどまらず、猫が怠惰な性格を持っていると考え、ことわざに悪いイメージを持たせている。このように、動物を認知する際の仕方に中日で大きな差のあることが分かった。 以上の三点が、今回の中日動物ことわざ比較検討によって得られた結果である。19
付 録付 録鱼日本「魚は鯛、花は桜木、人は武士」:魚の中では鯛が最もすぐれているということ。「鯛の尾より鰯の頭」:大きい団体で低い地位に甘んじているよりも、小さい団体でもその長となる方がよい。「腐っても鲷」:本来上等なものは、たとえ腐ってもその品格を失わない。「えびで鯛を釣る」:わずかな労力や品物で、多くの利益を得ることのたとえ。「鰯網で鯨を捕る」:意外な収穫や幸運をえることを表す。「鮟鱇の待ち食い」:ご馳走にありつこうとする者などを冷やかして言う。「魚心あれば水心」:相手が自分に好意を示せば、こちらも好意を持って対応する用意があるということのたとえ。中国「鲤鱼跳龙门」:成功の象徴とされている。「鲇鱼上竿」:物事が急速に上がっていくことのたとえ。「池里的泥鳅掀不起大浪」:知恵と学識がない人は成功しないことのたとえ。马日本「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」:物事はまず経験してから良し悪しを判断せよ。「鞍上人無く鞍下馬無し」:人馬一体となった巧みな騎乗ぶりのたとえ。「老いたる馬は路を忘れず」:経験を積んだ者は、自分のとるべき道を誤らない。「馬を水辺につれていけても水を飲ませるこはできない」:力によって他人を従わせることは無駄であることのたとえ。「馬も買わずに鞍買う」:本末転倒を風刺している。19
付 録「馬の籠抜け」:自分の力量をわきまえない。「馬の耳に念仏」;馬に念仏を聞かせてもそのありがたみがわからないということから,言い聞かせてもその価値がわからない人を批判している。中国「人要炼、马要骑」:習うよう慣れよ。「人有措手、马有失蹄」:どんな達人でも失敗することがある。「马不打不奔,不人激不发」:人の能力を駆り立てなければならない。「人奔家乡,马奔草」:本性はかえがたいことのたとえ。「人怕理,马怕鞭,蚊虫怕火烟」:すべての物事は弱点があることのたとえ。「路遥知马力,日久见人心」:「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」と同じ。「一马不跨双鞍」:一つの馬に二つの鞍を配置することはできない。「兵马未动,粮草先行」:何かをする前に、準備をしていたことのたとえ。「战马栓在槽头上要掉膘,刀枪放在仓库里会生锈」:練習を欠いて、うでが下がる。猫日本「猫に小判」:価値の分からない者に高価なものを与えても無駄であることのたとえ。「猫の手も借りたい」:きわめて忙しいさまのたとえ。「猫の額」:場所が狭いことのたとえ。「猫をかぶる」:本性を隠しておとなしそうに振る舞う。「猫は三年の恩を三日で忘れる」:猫は主人の恵みを忘れやすい。「猫は虎の心を知らず」:小物は大物の志向をわからないことのたえ。中国「猫怕过冬,狗怕过夏」:猫は冬をこわがって、犬は夏をこわがる。「老猫不在家,耗子屋上爬」:猫はいない、ネズミは猛り狂う。「不管白猫黑猫,逮到老鼠的就是好猫」:白い猫でもいい、黒いねこでもネズミを捕まえるのは良い猫だ。犬19
付 録日本「犬に論語」:どのように説いて聞かせても無駄なことのたとえ。「犬の川端歩み」:どんなに歩きまわっても何の収穫もないこと。「家の前の痩せ犬」:弱者も後ろ盾があれば強いというたとえ。「犬の糞で敵を討つ」:卑劣な手段で复讐することのたとえ。「犬の遠吠え」:臆病な者が陰で虚勢を張り、または他人を攻撃することのたとえ。「犬骨折って鷹の餌食になる」:苦労してあと少しで手に入るものを、ほかに横取りされることのたとえ。「犬も歩けば棒にあたる」:何かをやっていれば意外な幸運に出会うことのたとえ。「犬も食わぬ」:誰も好まず、相手にしないこと。中国「狗眼看人低」:傲慢不遜な人のたとえ。「狗仗人势」:他人の権勢を笠に着て威張る小人のたとえ。「狗改不了吃屎」:本性はかえがたいことのたとえ。「狗嘴里吐不出象牙」:ろくでもない人が、立派なことをいえるはずがない。竜・鳳凰「龙无云不行、鱼无水不生」:雲欠けば、竜は飛行できない。水欠けば、魚は生存することができない。「擒龙要下海、打虎要上山」:いかなる物事を完成するのも、客観的な規則を守らなければならない。「二月二,龙抬头」:中国の祝日。竜を仰ぎ、雨乞いし、豊作になるよう願う祭りのこと。「龙生龙、凤生凤」:血のつながった両親と子供は本性が似ている。「飞上枝头变凤凰」:意外に成功を得ることのたとえ。「凤凰涅磐、浴火重生」:苦境を脱した人は新たなる生命を得る。河童「河童に水練」:達人の前で自分の腕をひけらかすことのたとえ。19
付 録「河童も一度は川流れ」:どんな達人でも失敗することがある。「河童灭顶」:きわめて大きな災難を形容する。19
参考文献 参考文献中文部分1、卞小玢《以动物表意的对比研究》对外经济贸易大学学报20082、高亨《周易古经今注》(重订本) 中华书局,19843、高瑜《从“猫”的形象看中日文化的异同》南昌教育学院学报文学艺术2012第3期27卷4、鲁畅《中日动物谚语概念隐喻的比较》沈阳师范大学学报2013第175期37卷5、牟海景《探究中日两国含“牛”成语、谚语的不同及其原因》黑龙江科技信息20116、武青《从谚语看日本国民性的特色—以魚为中心》 河北大学 20107、徐汉华《中外谚语分类词典》人民教育出版社1987第一版8、徐宗才应俊玲《常用俗语手册》北京语言学院出版社1985第一版9、叶琳《日本常用谚语成语词典》南京大学出版社2007年第一版10、张巍巍《浅析中日谚语中的动物意象—以“十二生肖”为中心》大连工业大学学报201111、张燕《“猫”在中日谚语中的文化内涵之比较》连云港职业技术学院学报第1期24卷12、中国社会科学院语言研究所辞书编辑室《现代中国语辞书》改正版商务印书馆199813、周巍『ことわざから見る中日の文化の特徴—馬、魚、猫を例として』 吉林華僑外国語大学 2008日文部分1、白石大二『国語慣用句大辞典』東京堂出版1977第一版2、鈴木棠三広田栄太郎『故事ことわざ辞典』東京堂1984第一版3、中野美代子『中国の妖怪』岩波書店1992 第二版4、折井英治『新修ことわざ辞典』集英社1975第二版19
謝 辞 本卒業論文作成にあたり、多くの方からご協力をいただきました。心より感謝の意を表します。 まず、本稿の作成においては、指導教師阿部誠先生から丁寧ご指導賜ったことを、ここに記して厚くお礼を申し上げます。四年間の大学生活において、ご指導くださった諸先生、今日まで本当にお世語になりました。改めてお礼を申し上げます。本校の何宝年先生をはじめ多数の先生方にご指導いただきましたことが楽しい思い出となっております。まだまだ未熟未完成の私ゆえ、卒業後も、よろしくご指導鞭撻ください。 また、家族とクラスメートの皆さんからご支援をいただいたことも、ここで感謝の意を表します。 最後に、皆様かたのご健康をおいのりし、御礼の言葉とさせていただきます。