中日谚语比较解释.pdf 49页

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精品文档中国語と日本語の諺成句の中に、あることを形容する時、同じような表現を使うことが多くあります。例えば日本語の「百聞は一見に如かず」は、中国語の≪百聞不如一見≫と同じです(と言ってももともと中国語から来たものと言えます)。一方、全然違う言い方をするものも数多くあります。≪三天打魚、両天晒網サンティエンターイーリャンティエンシェワン≫「三日坊主」「打魚」は魚を捕ること、「晒網」は魚網を干す、さらすこと。三日は魚を捕り、二日は網を干すというように、物事を根気よくやりつづけられないことを言っています。日本語では、坊主を使います。≪麻雀●小、肝胆倶全マーチェスイシャオガンタンチェチュエン≫「ごまめでも尾頭つき」麻雀はスズメのこと。小鳥でもちゃんとした内臓が揃っている、小さいものを侮ってはいけないという諭しです。日本語では魚をたとえに使っていますね。一部の辞書には「一寸の虫にも五分の魂」と訳しています。ちなみに、日本の繁華街でよく見かける「麻雀」ゲーム店の看板は中国人に「スズメの店」と誤解されます。マージャンは中国語では「麻将」と書かなければなりません。≪高不成、低不就カオプンタンティプチオ≫「帯に短し、たすきに長し」高いところには成っていない、低いところにも就かない、中途半端の状態を言います。中国語では諺というよりもごく一般の日常語として使われます。日本語は和服のパーツを使って表現しているため、いかにも上品に感じられますが、やはりマイナスの意味です。≪痩死的駱駝比馬大ソウスターロートァビーマーター≫「腐っても鯛」両方とも「よいものは条件が悪くてもその値打ちが下がらない」のたとえです。中国語ではどんな痩せて死んだ駱駝も馬より図体がでかいと、馬とラクダで表現します。一方、日本語では、姿は美しく味も美味しい「魚類の王」と称される魚の鯛で表現しています。ここでも遊牧民族と海洋民族のことば使いの違いがうかがわれます。最後にクイズ。≪拍馬屁パイマーピー≫はどんな意味でどんな時に使われるでしょうか?ヒント:「拍」はたたく、「馬屁」は馬のお尻のことです。直訳すれば、「馬のお尻をたたく」の意味です。答え:「ごますり」と同じ使い方。昔の遊牧民が馬の交易をする市場で馬の尻をたたいて相手の馬を誉めていました。後にこの≪拍馬屁≫がお世辞をいうという1欢迎下载。 精品文档比喩になったわけです。それにしても、日本語の「ごますり」とお世辞の関係が私には分かりません中日ことわざの動物におけるイメージの比較2009-03-3118:59:39|はじめにことわざとは、昔から人々によって言い伝えられてきた鋭い風刺や教訓、生活の知恵や一般的な真理を短くあらわした言葉である。一般に、言語表現の上から、その言語を使用する民族集団の文化的特色を見て取ることができる。特に、日常生活から生まれ、民衆の知恵の結晶として使われてきたことわざは、各民族それぞれの伝統的な物の見方?考え方を濃厚に反映している。元来、ことわざは民衆の知恵の総合とも言うべきものであることから、異なった民族のことわざでも、形式から内容まで共通性をもっているものもあるが、ことわざは各民族の民衆によって作り出されたものであり、各民族の歴史、地理環境、生産活動および人々の生活習慣、思考の方式などに差異があるため、各民族の自然観、世間観、人生観などの面にその民族固有の特性、文化の特色が見られ、諺にそれが反映されている。本文では、中国と日本のことわざを分析し?どのような動物イメージがあるか、どのように使用されているのか、中日文化交流と諺の中の動物イメージの関係が何か、考察していく。なお、本稿では主として日本のことわざをもとに、それと対応する中国の諺を取り上げて比較するが、中国のことわざの中でも漢民族のことわざを、また特に、両国でも一般の民衆たちによく知られ、生活の中でよく使われている諺を取り上げる。同時に、中国と日本それぞれの独自のことわざも考察の対象とする。1.ことわざについてことわざというのは世界各地にある。例えば、英語では「Romawasnotbuiltinaday」ということわざがある。直訳は「ローマは一日にして成らず」という意味である。ことわざの特徴について、「慣用句とことわざの違い」というホームページに「人生の教訓や生活の知恵、風刺を、短い表現の中に込めて言いならわせれてきたものだ」と書いてある。1.1ことわざというのは1.1.1中国のことわざ中国では、ことわざは一般に「谚」とか「语」とか、あるいは「谚语」とか呼ばれている。近代になって、中国のことわざにも広義の定義と狭義の定義がある。広義のことわざとは、人々の話し言葉に広く伝わっている俚諺、俗語のすべてを指すという見解であり、慣用語、歇後語などをもそれに含まれる。狭義の諺については、近代では多くの先行研究で郭紹虞の定義が採用されてきている。郭(1948)は、諺とは、人間の実際の経験の結果であり、美しい語彙を用いて表現され、日常会話で、自由に使われて、人間の行為を規定する言語であると定義している。80年代に入ると、狭義のことわざの定義について、いくつかの見解が現われた。だれにも分かりやすく簡潔で、生き生きとした韻文または短文である。ことわざは、一般に口語の表現形式によって民間に広く用いられ伝えられるもので、民衆が生活上の体験や感動を表現する一種の「既成語」であると解釈している。これらの定義に共通していることは、ことわざが民衆の実際の体験を総括したものであって、体験を伝えることを目的としているという点である。また、温端政は「ことわざには、もう一つ別の働きがある。それは、客観的な事柄についての認識を伝えるという役割である」と述べている。以上から、中国語においてことわざは、民衆によって作2欢迎下载。 精品文档り出され、民衆の知恵、経験、認識を広く伝え、比較的固定的であって、簡潔で口語性の強い話し言葉であると定義することができよう。1.1.2日本のことわざことわざの定義については、藤沢(1960)によれば、日本のことわざには広義と狭義の二種類の定義があるとし、「広義とは、どんなことばでも、一定の形をとって、俗間に伝唱されれば、みなことわざである」としている。藤沢によれば、日本語の慣用句、歌謡、なぞは、すべてことわざということになり、「ただ一つの形容詞であっても、それが一定の形をとって、常にある種のことがらを形容するものとして知られていけば、それはすでにことわざである」とまで述べている。狭義のことわざについて藤沢は、「ある種類の教訓、警戒、風刺、またはその他の視察経験による知識をいいあらわしたものである」としている。これについて、金子(1969)は次のように説明している。ことわざは……民衆の中からいわばおのずから生まれ出たものである。……民衆がその体験によってみずから得た教訓なのである。……いわば、民衆同士が肩を叩いての忠言、助言である。ことわざは、民衆がその実際生活の体験の中から、人間や人生に対する批評として生み出したものであり、また逆に、人間や人生を批評する場合にも用いられるものである。すなわち、ことわざは民衆により作り出された教訓であり、民衆同士の間の忠誡のことばであるが、この点について金丸(1983)は、「ことわざは、日常経験から生まれた民衆の知恵の結晶であり、民衆の行動の指針と言えます」と述べている。1.2ことわざの歴史ことわざの特徴として先ず第一に挙げなければならないことは、ことわざは昔の人がどのように考え、どのような生活をしてきたかを忠実に映す、いわば鏡のようなものだということである。言い換えれば、文化と思想の化石、あるいはDNAみたいなもの、といえるだろう。現在は情報化時代で、それぞれの国が独自性を失って画一化の道を進みつつある。しかし、表面的、現象的には同じに見えても、それぞれの国にはそれぞれの長い歴史があり、固有の文化はそう簡単に変わるものではない。その意味で、ことわざを通して、その国の文化や国民性の本質を知ることができるし、またその発展の歴史も知ることができる。普段の何気ない会話のなかにもたくさんの「ことわざ」が使われています。日本だけでなく、世界中に様々な「ことわざ」がある。古くから使われているが、その起源はいつ頃なのだろう。1.2.1中国語のことわざの歴史伝統的なことわざは中国の古中原文化の時から創られた。それぞれのことわざは民族文化や価値観が溢れ、庶民の知恵が集まったものである。たとえ用字が上品ではないとしても、分かりやすく、直接意味が伝わる。中国ではことわざを「俚語」や「俗諺」などと呼んでいる。「俚」、「俗」と書くから、パッとその文字を見ただけでは、ダサくて下品なものだと思われがちだという。実は、ことわざは上品ではないまでも分かりやすいものである。それに、さきほど述べたように、中国ことわざは中華歴史文化の一つであり、庶民が豊富な生活経験を積んだことによって作った簡潔な文学作品ということである。1.2.2日本語のことわざの歴史残念ながら世界全体で「ことわざ」が人々にいつ頃から使われているのか、詳しいことはわからない。おそらく他国には日本で「ことわざ」が確認されるよりもずっと前からあったのでしょうけど、それはその国によってきっとバラバラなのだと思う。3欢迎下载。 精品文档一方、日本では平安時代にはもう「ことわざ」があったという記録が残されている。平安時代初期に世俗諺文という「ことわざ辞典」が出版された。その世俗諺文には「良薬は口に苦し」「千載一遇」など、今の「ことわざ辞典」にも載っているものがあった。私たちが知っている「ことわざ」の多くは庶民の生活のなかで生み出された教訓で、しかもそれは実体験がもとになっているものである。江戸時代の中頃になると日本にも中国の古典が伝わってきた。その中国古典と日本に以前からあった「ことわざ」が混ざり合い、狂歌(きょうか)と呼ばれる大衆文芸が誕生した。今でいうと流行語のようなもので、狂歌師(放送作家やコピーライターのような人たち)によって作られる。江戸時代の末、江戸や上方(今の大阪)の人々にとって狂歌は最大の娯楽だったとも言えるだろう。現代まで伝わっている狂歌や狂言といった日本の伝統的な文化といわれるものは、古くから伝えられた「ことわざ」にアレンジを加えたものだとされている。今、さまざまな「ことわざ辞典」が出ているが、その元祖とされるものは諺語大辞典(げんごだいじてん)という。これは明治時代に藤井乙男という人が書いたもので、日本初のことわざ専門の辞典なんだ。2.ことわざにおける動物についてさまざまな文章を概観すると、明月星辰、風雨雷電、山川湖海、郷土風物、草花樹木、鳥類獣類に関わることわざは数えられないほど豊富であって、そして中には動物に関わることわざは最も多いことに気づいた。長い生活の間、人と親しくつきあっている動物は、人々にいろいろな連想を与えさせたり、イメージを与えたりするのである。動物に関わることわざはある程度、人々の心理を反映していると考えられる。動物に対する連想は、一衣帯水の隣国である日中両国は、きっと似ているところもあれば、そして、自然環境、文化背景、風俗習慣が異なるため、違うところもあると思う。2.1中日諺における動物の種類動物の種類は中国だけが10.4万(注②)にも達したそうであるが、ことわざに出てくる動物はごく少ないのであり、ほとんどは人々がよく知っている動物なのである。次は『簡明日中成語辞典』(知识出版社出版)と『現代中国語辞書』(商務印書官館)を調べて、日中動物のことわざの中に出てくる百種ぐらいの動物を統計して、次の表を作ってみた。表1中日動物にかかわる諺の中の動物の対照種中日共有中国特有日本国特有類哺犬、鹿、豚、象、鼬、馬、羊、鼠、虎、狸、猩猩、獅、熊、豹、鯨乳動物牛、猿、貂、猫、兎、山犬駱駝ナイチンゲール、イスカ、シジュウ鳥雁、雀、カササギ、燕、マヒワ、烏雉、鴛鴦、鶏カラ鯉、嘎鱼、鮟鱇、鰻鮟鱇、鰻、鯱、鯛、鰹鮑鯛、ゴマメ、ヒ魚泥鰌、鯰節、鰯、鯖、河豚ラメ、メダカ昆蜘蛛、ケラフユ蟻、蛍、蜂、蝿、蚊蜻蛉虫ウ、蟷螂、蝉そ蛙、蟹、亀蛇、蝦、蝸牛オタマジャクシのほか以上あげられたのは日中動物のことわざに出てくる動物である、中には、使われる頻度の高い者もいれば、頻度の低い者もいる。4欢迎下载。 精品文档2.2中日諺における動物の使用率ここで使用頻度前五位の動物を並べてみた。表2動物にかかわる中日ことわざの中に動物の使用率中国語動物諺数(387種)日本語動物諺数(296種)名称使用率(次)百分比名称使用率(次)百分比魚4210.9%魚3612.2%馬328.3%馬227.4%犬184.7%猫196.4%虎、牛、猫153.9%犬175.7%鼠123.1%牛124.1%以上の表2により、使用率の一位の動物は中国でも日本でも魚である。日本での百分比はやや高いのである。一目には、何の違いもないようであるが、でも、表2をよく見てみたら、日本の諺に出てくる魚は:鮟鱇、鰻、鯱、鮑、鯛、鰹節、鰯、鯖、ゴマメ、河豚、ヒラメ、メダカ;中国の諺にでてくる魚は:泥鰌、鯉、鯰、嘎鱼などである。前者はほとんど海の魚に対して、後者はほとんど淡水魚である。ご周知のように、日本は海に囲まれている島国なのである、それは諺に出る魚はほどんどん海の魚の主な原因ではないかと思う。そして、史料の記載によると、河南省安陽市のイン代遺跡出土した甲骨文の中で"畑に魚"の記載があるようだ。それは、中国の商代末期に池で魚を養うことを始まった証拠である(注③)。淡水魚を養うことの一番早い国家として、ことわざに出てくる魚がほとんど淡水魚であることも、おかしくはないのであろう。以上は一番明らかな違う点だと思う。そのほか、前五位の中に魚を除いて、みんな哺乳動物だと見られるでしょう。両国は哺乳動物に対する注目と感受が多くて、これは中日両国の共同点と言えるでしょう。3.中日諺における動物のイメージの比較長い生活の間、人と親しくつきあっている動物は、人々にいろいろ連想を与えさせたり、イメージを与えたりするのである。動物に関わることわざはある程度、人々の心理を反映していると考えられる。動物に対する連想は、一衣帯水の隣国である中日両国は、きっと似ているところもあれば、そして、自然環境、文化背景、風俗習慣が異なるため、違うところもあると思う。3.1同じ動物、同じイメージここでは、『簡明日中成語辞典』(知识出版社出版)と『現代中国語辞書』(商務印書官館)を調べて、動物に関わることわざを集め、分析し、表を作って、次ように分類してみた。表3:中日ことわざの対照(1)中国の語諺日本国の語諺5欢迎下载。 精品文档猿知恵驴子不知自丑,猴子不嫌脸瘦美人の終わりは猿になる山中无老虎,猴子称大王老鼠过街,人人喊打頭の黒い鼠喜鹊叫客人到;灯花开喜事来カササギ大理の庭に巣くう天下乌鸦一般黑烏百度洗っても鷺にならぬ蚂蚁搬动泰山蟻が塔をくむ螃蟹不忘横着爬蟹の死ばさみ水面虽静,也要留心鳄鱼鰐の口がのがる羊群里跑不出骆驼来羊の歩み虎瘦雄心在騎虎の勢蛇爬无声,奸计无影鬼が住むか蛇が住むか静如处子,动如脱兔脱兎の勢い饮似长鲸,快吸川鯨飲馬食狼披着羊皮总是狼狼の衣狐狸尾巴藏不住狸寝入り青蛙常常忘记曾为蝌蚪井蛙の見表3のように、対応されている中国語と日本語のことわざの中に出てきた動物はまったく同じである。それらの動物についての分析を通して、次のようなことがわかる。中日ことわざの中に猿が人に与えるイメージはほとんど利口ぶる、醜いということだ。もちろん、中国語ことわざの中に褒める意味を表すこともあるが、ほとんどはマイナスの評価である。鼠が人に与えるイメージは中日両国も同じて、悪い人、悪いことということである。カササギが中日両国人民に与えるイメージはだいたい吉祥ものだと言えるでしょう;中国ことわざの中に烏は不祥な鳥と見られる。烏は日本諺の中には二つの意味がある。一、醜いこと;二、旅好きの人。中日ことわざに現れた鳥に対するイメージは同じものもあれば、異なるものもある。蟻は中日ことわざの中にも人に勤勉、力のイメージを与える。日本語のことわざには、特に蟻を通じて日本社会の団体協力精神が生き生きと反映されたと思う。蟹は中日ことわざにも頑固、横暴に振舞うという似ているイメージを表している。鰐は凶暴、残虐な動物と思われる。中日両国人民はこれに対する認識も大体同じであることが両国のことわざにも明らかに反映された。羊は中国語のことわざの中に二つの意義がある。一、劣等なもの;二、弱い者。日本語ことわざの中にただ弱い者を比喩する。虎に対するイメージは中日両国も勇猛だと思われる。蛇が冷血動物として人にあたえるイメージはよくない。よく陰険のシンボルとして中日ことわざの中に現れる。兎は行動速い動物だ。中日人民はこれに対する体験も同じだ。鯨は海洋の中に一番大きい動物だと思われる。それで鯨の食量の大きいことも容易に連想されると思う。中日両国人民は狼に対して、凶暴、残虐、狡猾なイメージを持っている。-Q,J0S(B%RM狸の狡猾さ中日諺の中にも見られると思う。中日文化の中に、蛙は見識の短い、平凡な人の喩えだと思われている。以上は、十四種動物の中に哺乳動物は九種も占めていた。ここから、中日両国は哺乳動物に対する認識がかなりの程度において同様な心理感受を持っていることを説明することができると思う。6欢迎下载。 精品文档3.2同じ動物、違うイメージ表3により、一衣帯水の隣国である中日両国は、動物に対する認識が似ているところがあるということがわかるようになったが、中日両国は審美観と感情色彩に大きいな地域差別があるため、同じ事物は内包と価値が違って、そして引き起こす連想も違うのである。次の表を見てみよう。表4中日ことわざの対照(2)中国の語諺日本国の語諺哪个猫儿不吃腥猫糞俯首甘为孺子牛飽く迄食べて寝れば牛になる乌龟有肉在肚里头灰吹きへのせた亀の子黄鼠狼给鸡拜年—不安好心鼬の無き間の貂誇り吃人的狮子不露齿獅子にボタン、獅子の奮迅蜘蛛の子を散らすように逃げる、平蜘蛛のよ蜘蛛扳不倒楼台う庭院里跑不开千里马地獄の馬は顔ばかりが人麻雀虽小,飞得颇长雀百まで踊り忘れぬ、雀の涙萤火虫只照自己的屁股蛍二十日に蝉三日苍蝇贪婪,死在蜜里人の蝿を追うより己の蝿を追え表4の中に対応されいる中日ことわざの中に動物が同じであるが、それぞれ伝える意味が異なっている。表4により、次のようなことがわかる。中国語ことわざの中で猫がよく貪婪な人を喩える。それと対して、日本語ことわざの中にが人にあたえるイメージは偽善者という場合が多い。視点の差で、中日両国の人は牛に対する認識もそれぞれである。中国語ことわざの中にはよく勤労な人が比喩される。日本諺の中に牛は愚か、無精な人が喩えられている。亀は中日諺の中に長寿のシンボルと思われる、中国語ことわざの中によく陰険な人を喩える、日本語の中に亀は弱い者を指すことに対して。鼬は中国文化の中で、よく悪い人を指す。日本語ことわざの中に権威のある人の喩えである。獅子が日本人にあたえるイメージは高尚、勇敢ということであるに対して、中国は凶暴、残虐な人を喩える。蜘蛛は中国語ことわざの中でよく弱いものを喩える。それに対して、日本語ことわざの中でよく慌てて逃げる様子、或いは罪のあるというイメージを人にあたえる。馬は中国文化の中でよく人材を比喩する。それに対して、日本語ことわざの中でよく人面獣心な人を喩える。雀は中国語のことわざの中でよく忍耐力のある人を指す。それに対して、日本語ことわざの中でよく志のない、ごく小さいことを指す。蛍は中国語ことわざの中でよく愚か者を指す。それに対して、日本語ことわざの中でよく短いことを指す。日本語ことわざの中で、蝿は欠点のシンボルだと言える。それに対して、中国語ことわざの中でよく貪婪、無精などの代名詞だと言えると思う。以上、動物に関わることわざが数多くて、同じ動物に対する感受もそれぞれだ。ここで挙げた例もこの点を証明した。でも、特に説明したいのは中日人民が同じ動物に対して相異の感受があると共に、7欢迎下载。 精品文档相同の感受がある可能性があると思う。例えば、牛、中国の人も日本の人と同じ、牛が愚かな物、行動の鈍い物だと思う時がある。でも、ほとんどの状況では、表1、2のように使われている。3.3違う動物、同じ或は類似イメージ中日両国の生活習慣や思考方式、文化伝統が違うのせいか、異なる動物にも共同な心理偏向を表現した。つまり、中日両国の人は相同の心理感受を違う動物に寄って自分の好き嫌いを表した。以下の例を見てみましょう表5:中日ことわざの対照(3)中国語ことわざ日本国語ことわざ初生牛犊不怕虎盲蛇に怖じず黔驴技穷鼬の最後屁鸡窝里出凤凰鳶が鷹を産む瓮中之鳖網代の魚单枪匹马一匹狼拿鸭子上架魚の木に登る如し瞎猫碰上死耗子盲亀に浮木不可守株待兔柳の下にいつも泥鰌は居らぬ鸡窝飞出凤凰山の芋が鰻になる猫儿不在,耗子逞凶鳥なき里の蝙蝠虎口送肉猫に鰹節对牛弹琴猫に小判如虎添翼獅子に鰭指鹿为马鷺を烏鲤鱼跳的再高,跳不出黄水滔滔蝦踊れども川を出でず龙生龙,凤生凤蛙の子は蛙以上、同じ意味のことわざであるけれども、日中両国はぜんぜん違う動物でこの意味を現したと見られる。虎を蛇、鳳凰を鰻、鴨を魚、鯉を蝦、驢馬を鼬などのように、同じ心理感受を現れているけれども、動物に対する感情色彩が違っているので、現れた形式も違うようになった。そして、中国語ことわざの中の動物と日本語ことわざの動物を比較してみた。表6:中日ことわざにおける動物対照虎、驢、鳳、馬、鴨、猫、兎中国鳳、猫、鼠、虎、牛、虎、鹿、鯉、竜、鳳蛇、鼬、鷹、魚、狼、魚、亀、泥鰌、鰻日本蝙蝠、猫、獅子、鷺鳥、蝦、蛙対応して比較してみると、以下の結論を得た:8欢迎下载。 精品文档中国語ことわざに出てくるほどんどんの動物は日本のことわざ中に出てくる動物より体型がずっと大きいのである。それは日本人は更に精巧、精緻な品物にほれ込んでいることと関係ないわけではないと思う。日本の動物ことわざは哺乳動物より鳥か魚のほうが多く出てくる。それは日本の地理環境と大いに関係があるではないかと思う。日本は弧の形状を呈する島国で、海岸線は30000kmも長く、海洋漁業は十分発達していた。日生活の中に人々は魚か鳥かと接触するチャンスが陸地の動物よりずっと多いと想像できると思う。4.中日ことわざの仮想からの動物について4.1竜について仮想動物というのは自然界に存在しておらず、人間想像の中に、或いはある文化の中に存在するだけというものだ。例えば:中日ことわざ中の竜、鳳凰など。中国語のことわざの中の竜は鹿の角、牛の頭、魚の鱗、鷹の爪をつき、ウワバミの体を持つものだ。封建王朝時代、竜は皇帝のシンボルとして最高権威などの意味を含まれていた(注④)。中国語ことわざの中に主に以下のように使われている:表7:中日ことわざの対照(4)日本語ことわざ中国語ことわざ地位が高くて、高尚な人柄の持つ人是龙不跟蛇斗,是人不跟狗斗深甚な人、言行に見当を付けがたい神龙见首不见龙少涝,龙多旱興雲布雨の神霊龙多不治水,鸡多不下蛋宁养一条龙,不养十只熊傑出な人材、強い者、大人物龙游浅水遭虾戏,虎落平阳被犬欺以上に対して日本語の中に、竜は以下の意味を含まれている。表8:日本語ことわざの意味類対照意味類日本語ことわざ竜を画がきて狗に類す虎と同一視する竜頭蛇尾竜藩鳳逸の士傑出な人材、強い者、大人物人中の竜悪い者虎口を逃れて龍穴に入る竜この不思議な動物は、中国語のことわざ中にすごく重要な地位を持っている。何千年以来、竜は中国社会のそれぞれの方面に染みこんで、中華民族とその文化のシンボルとなった。中国語の中の龍にほとんどほめる意味であるのに対して、日本語の中に龍に対する感情色彩は褒める意味に限られていないのである。4.2鳳凰について9欢迎下载。 精品文档中国語の中に鳳凰は鳥の王、雄は鳳、雌は凰と伝説されているそうだ。中国学者はいろいろなことを研究して鳳凰に定義をつけた:鳳凰は中国古人が数多くの鳥類と歩く動物を結合して創造した珍しい物であって、中華民族の光明、奉献、真善美に憧れる精神が体現される動物である(注⑤)。そして、鳳凰の現れるシンボルは竜とよく似ている:表9:中日ことわざの対照(5)中国語ことわざ日本語の意味没有梧桐树,引不来凤凰優秀傑出な人材鸡窝里藏不住凤凰乌鸦彩凤不同栖善い人、人柄の良い人凤凰不入乌鸦巢拔了毛的凤凰不如鸡強い者、権勢のある人凤凰落架不如鸡日本語の中に鳳凰に関わることわざは少ないが、よくほかの動物を鳳凰に取って代わて、同じイメージを表している。例えば:1、鳶が鷹を産む(鸡窝里飞出凤凰)山の芋が鰻になる(鸡窝里飞出凤凰)以上から見れば、日本諺の中の鷹或いは鰻は中国のことわざの中の鳳凰と大体同じ意味を表していると思う。4.3麒麟について中国では麒麟が伝統的な吉祥動物と思われる。麒麟は竜の頭、鹿の角、豚の鼻、蛇の鱗、虎の背、熊の腰、馬の蹄、獅子の尾という形に想像されて、各種動物の精華を集められている。竜と鳳凰とほぼ同じ、麒麟も優秀な人材と喩えられている。例えば:1、是马充不了麒麟;2、牛生麒麟猪生象;3、草有灵芝木有椿,禽有鸾凤兽有麟。日本語のことわざの中に麒麟に関わる言葉は少ないようだ。ここで一個の例を見つけた。1、学ぶ者は牛毛の如く、成る者は麟角の如し。以上により、麒麟は日本語のことわざにも中国語のことわざにも優秀な人材と喩えている。そして、珍しいという意味もあると思う。おわりにはじめに言ったように、ことわざは人々が長期の生活の中に蓄積した智慧の結晶と言われている。そしてある民族の言葉をよく理解するには、その民族のことわざをよくマスターしなければならないと言われている。民族言語と文化の重要な構成部分であることわざは、内容の取材は極めて広い範囲である。10欢迎下载。 精品文档文末ながら、動物に関わる中日ことわざについての考察をもう一度まとめてみる:動物は人間の友達で、毎日大変多くの動物と接触する人々は動物の生活習慣と特徴をよく知っている。人類は動物と接触しながら、生活しているうちに、動物に対する好き嫌いがだんだん生まれできた。このように、たくさん動物に関わることわざも生み出された。本文では中日の動物に関わることわざをいくつかの面から比較して、分析してみた。分析により、中日両国の文化伝統、生活環境、生活習慣の差は日中両国語の中で動物に関わることわざの使用に大きな影響をもたらしたということが分かった。本文は中日のことわざの中に、「同じ動物、同じイメージ」、「同じ動物、違うイメージ」、「違う動物、同じ或は類似イメージ」三つの面に分けて、いろいろな動物に関わることわざの統計を通して、中日ことわざに出てくる動物の現れるイメージについて、分析し、そのイメージが同じか、または違うかの原因について説明してみた。最後に、中日ことわざにおける動物中の仮想動物:中国語ことわざには主に竜、鳳凰、麒麟を、日本ごことわざには主に竜、鷹、鰻などを中心にして、分析してみた。この考察のおかげで、日本文化や社会についてより多くの知識が得ることができるようになった。また考察は自学能力を一層高めることにも役立つと思う。本文の書く過程も今後の勉強や研究にとって、貴重な経験であると思う。勉強不足、知識面が狭いため、本論はまだまだ未熟だと思う、これから、ことわざのみならず、その文化背景などももっと深く勉強していきたいと思う。注釈:注①、金子武雄『日本の諺』の前書きである注②、『中英動物に関わる諺の比較』宋京生华东船舶工业学院学报2004年3月注③、『中国からの日本語の諺の根源』孙虹赵国强『日本语知识』2000年7期注④、柏峰の『痴心于龙凤文化的庞进』の前書きである注⑤、柏峰の『痴心于龙凤文化的庞进』の終わりである参考文献1、『現代中国語辞書』中国社会科学院言語研究所辞書編集室改正版1998年商務印書官館2、『新明解国語大辞典』金田一京助監修三省堂出版社1999年発行第五版3、『簡明日中成語辞典』曲礼贤张文华编知识出版社1982年第一版4、『言語感情色彩の変化』张振安德州学院学报2005年1月第21卷第五期5、『日本文化—模仿与创新的轨迹』王勇北京高等教育出版社2001年3月第一版+6、「中日同源諺意味の異同」冯峰『日本語学習と研究』2000年1期7、「中国からの日本語の諺の根源」孙虹赵国强『日本语知识』2000年7期8、『ことわざ辞典』林四郎日本放送出版協会発行2000年1月15日出版9、『日本語慣用句分類辞典』徐家驹外来語教学と研究出版社2005年四月第一版10、『暮らしの中のことわざ辞典』折井英治編集英社発社昭和37年第一版11、『中英動物に関わる諺の比較』宋京生华东船舶工业学院学报2004年3月12、『痴心于龙凤文化的庞进』柏峰人民日報海外版2001年6月13、『日本の諺?中国の諺:両国の文化の違いを知る』陳力衛著明治書院2008年11欢迎下载。 精品文档15、『日独の民俗-諺にみる動物比較序論:ねずみ、狐、カラス、蛇、猿、兎』可知正孝著鳥影社ロゴス企画2008年16、『鱼与日语』陈百海『日语学习与研究』第七期2006年:日本のことわざ韓国語韓国語で直訳すると…「後のまつり」행차후의나팔行列の後のラッパヘンチャフエナパル「石の上にも三年」한우물을판다ひとつの井戸を掘るハンウムルルパンダ돌도십년을보고있으면구멍이뚫린다石も10年見ると穴が開くトルドシムニョヌルポゴイッスミョンクモンイトゥルリンダ「一挙両得」뀡먹고알먹기雉を食べ卵を食べるクォンモッコアルモッキ도랑치고가재잡는다どぶさらいしてザリガニを捕るトランチゴカジェチャムヌンダ「一寸の虫にも五分の魂」지렁이도밟으면꿈틀한다ミミズも踏めばぴくりとするチロンイドパルブミョンクムトゥランダ참새가죽어도짹한다すずめも死ねばチッと言うチャムセガチュゴドチェッカンダ「海のものとも山のものとも知밥이될지죽이될지ご飯になるか、粥になるかれない」パビテェルチジュギテェルチ「鬼に金棒」호랑이의날개虎に翼ホランイエナルゲ「飼い犬に手をかまれる」믿는도끼에제발등찍힌다信じた斧に足の甲を切られるミンヌントッキエチェパルトゥンチッキンダ「壁に耳あり障子に目あり」낮말은새가듣고밤말은쥐가듣는다昼の言葉は鳥が聞き、夜の言葉はねずナンマルンセガトゥッコパムマルンチィガトゥみが聞くンヌンダ「すずめの涙」새발의피鳥の足の血セバレピ쥐꼬리만하다ねずみの尻尾ほどチィコリマナダ「善は急げ」쇠뿔은단김에빼라牛の角は一気に引けスェプルンタンギメペラ「二兎を追うものは一兎も得멧돼지잡으려다집돼지놓친다いのししを捕ろうとして、飼い豚を逃ず」メッテジチャブリョダチプテジノッチンダがす12欢迎下载。 精品文档「花より団子」금강산도식후경金剛山も食べた後でクムガンサンドシックギョン「人のうわさも75日」남의말도석달他人の言葉も3ヶ月ナメマルドソッタル「拍子抜け」맥이빠지다脈が抜けるメギパジダ「ほっぺたが落ちそう」둘이먹다가하나가죽어도모른다二人で食べて一人が死んでも気づかなトゥリモクタガハナガチュゴドモルンダい「本末転倒」배보다배꼽이크다腹よりヘソが大きいペボダペッコビクダ要旨諺は民間が広く伝え、簡潔な言葉で比較的に定型化する文句である。同時に、動物は人間と一番密な関係を持ち、人間の感情、考え方などは動物に関する諺を通し、現れることも多い。中日は隣国であり、昔から交流をしてきたので、本論文では、動物に関する中日諺を研究対象に、考究しようと思う。調査の対象となる諺は主に次の四冊から得る。『新明解事故諺辞典』(三省堂編修所2001)、『日漢慣用語諺語辞典』(陶元山国防工業出版社2007)、『日漢成語諺語辞典』(杜建極科学技術文献出版社重慶分社1989)及び『日漢双解学習辞典』(外国語教学と研修出版社2006)である。考察によって、次のようなことが分かった。1、中日における動物の諺で同じ意味を持つものが多い。筆者は「竜」、「鼠」、「蛇」三つの動物を例として、それに関する諺を対照研究した。そして、中日両国ともアジアに位置して、同じ黄色人種である。二千年前から、両国は文化交流をしてきて、お互いに影響している。したがって、中日で同じ意味を持つ諺が多いという結論を得た。2、中日における動物の諺で違う意味を持つものも多い。「牛」、「犬」を例として、それに関する諺を対照研究した。次のことがわかった。牧畜文化に属している中国はもくもくに一生懸命働く「牛」に賞賛する。海洋文化に属している日本は恵まれないから、ほとんど否定である。一方、中国は「犬」が人を咬むために、凶悪、卑劣と思われ、評価が低い。日本は「犬」は「忠臣」であり、利口、勇敢と思われ、評価が高い。本稿は参考資料の不足、分析の不十分など様々なところに問題があると考えられる。そこで、今度の論文を機会に、動物に関する中日諺についてさらに細部まで研究していきたい。キーワード:動物に関する諺,動物の意味,対照研究,文化日本の故事:ことわざ日本の故事:ことわざといっても中国から渡来し日本で広まった故事:ことわざも多く見られます、日本古来の歌舞伎などや空想から当てはめたものもあります、龍にちなんだ、ことわざなどからの由来も13欢迎下载。 精品文档見られます。青は藍より出でて藍より青し(あおはあいよりいでてあいよりあおし)「氷は水より出でて水より寒し」と対のことばで、葉を発酵させて染料にする藍で白い布や糸を染めると、原料の藍よりも青い色に染めあがる。また氷は水からできているが、原料の水よりも冷たい。このことから、知識をうけた者が、それをさずけてくれた者をしのぐこと。弟子が先生よりもすぐれることをいう。【同義】「出藍の誉れ」(しゅつらんのほまれ)、「藍より青し」〔出典〕『荀子』。寇に兵を籍す(あだにへいをかす)自分に害をなすものに力を貸して、自分の損失をいっそう大きくすること。これは司馬選の『史記』の中にある泰の政治家、李斯(りし)のことばで「国内の諸侯と仲たがいして他の国と結ばせることは、敵に兵力を貸し、どろぼうに食物をもってくるようなものだ」ということ。李斯は始皇帝を助けて焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)・郡県制・小篆の制定などの政策を行って活躍したが、始皇帝の死後失脚し、刑死した。〔出典〕『史記』。羹に懲りて韲を吹く(あつものにこりてあえものをふく)「羹に懲りて膾(なます)を吹く」ともいう。一度失敗したのにこりて、必要のない用心をすることのたとえ。羹は吸い物。熱い吸い物をいきなりすって口の中にやけどをした。そこでこんどはつめたいあえものやなますをフーフーと吹いてさましてから食べる、ということ〔出典〕『楚辞』。穴があったら入りたい恥かしくて、隠れてしまいたいこと。フクフ斉(ふくふせい)という人が魯(ろ)の単父(ぜんぼ)を始めていたとき、斉(せい)の国が攻めてきた。フクフ斉が麦を刈ることを認めなかったので、単父の麦は斉軍に取られてしまった。領主の季孫がフクフ斉を責めると、「侵略があるからといってむやみに収穫すれば民衆が侵略を楽しみにしてしまう。それはこの国のためにならない」と答えた。これを聞いて李孫は「穴があったら入りたい」といったという。虻蜂取らず(あぶはちとらず)あれもこれもと一度に二つのものをねらって、どちらも結局だめになること。アブとハチとはよく似ているが、ハチの羽が四枚なのに対してアブの羽は二枚なので区別できる。似ているところから、アブがだめならハチを、ハチがだめならアブをという気持ちを「虻蜂」で表わしたもの。【同義】「虻も蜂も失う」、「二兎を追うもの一兎も得ず」。晏嬰の狐裘(あんえいのこきゅう)ひじょうにものを大切にし、つましく暮らすこと。晏嬰は春秋時代、斉の国の宰相で、節約を旨とし、また君主に忠節をつくした。狐裘は狐の皮の皮衣であるが、晏嬰は一枚の狐裘を三十年間使ったという。また晏嬰は、籾をとっただけの米をたべ、食事は一汁一菜であったという。〔出典〕『晏嬰脱粟』衣食足りて礼節を知る(いしょくたりてれいせつをしる)人間は生活が満ち足りてはじめて名誉や礼儀をわきまえるということ。『管子』という書物の中に「倉廩実ちて則わち礼節を知り、衣食足りて則わち栄塾を知る」という文章があり、これがもとになっている。人間は生活がすさんでくると、心もすさんでしまいます。逆に、生活が満ち足りてくれば、礼儀や節度を考える余裕がでてくるという考え方。14欢迎下载。 精品文档急がば回れ(いそがばまわれ)東海道を西へのぼっていくと、草津の宿の先で陸路と水路とにわかれる。ここから大陸に行くのに、舟で琵琶湖を渡れば二里ほどの近道である。しかし、突風で船が転覆することがたびたびあり、近道のつもりがかえって遠まわりになることが多かった。江戸初期の笑い話を集めた『醒睡抄(せいすいしょう)』に「急がば回れといふことは、物毎にあるべき遠慮なり。宗長がよめる、武士のやばせの船は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋」とあって有名になった。磯のあわびの片思い(いそのあわびのかたおもい)片思い。こちらでは相手のことを深く恋い慕っているのに相手が少しも気づいてくれないこと。あわびは巻き貝であるが巻いた部分が少なく二枚貝の片方しかないように見えるとこから「片」をひきだすことばになる。「あわびの貝の風情」といえば、片思いをしている様子。万葉集に「伊勢の白水郎(あま)の朝な夕なに潜(かず)くといふ鰒の貝の独念にして」という歌があり、すでにこの時代から、あったことばであることがわかる。【同義】「あわびの貝」、「あわびの貝の片思い」。一日作さざれば一日食はず(いちじつなさざればいちじつくわず)仕事をしなかった日には食事をしない、ということ。唐の懐海禅師というお坊さんは、ひじょうに働き者で、一日中働いていた。そこである日、責任者のお坊さんが懐海禅師を休ませてやろうという親切心から道具を隠してしまった。ところが懐海禅師は必死で道具をさがしているうちに、休むことも、食事をとることも忘れてしまった、という。一輪咲いても花は花(いちりんさいてもはなははな)たくさん花が咲かなてもたった一輪でも花は花である。小さなものでも本質的には何の変わりもないことのたとえ。:類義語:一合取っても武士は武士一葉落ちて天下の秋を知る(いちようおちて、てんかのあきをしる)一枚の葉が落ちるのを見て、秋が来たのを知る、ということから、わずかなものごとのきざしから、天下の大勢を知ること。天下の趨勢にのろうと考えている者は、このくらい鋭くないと成功しない。〔出典〕『淮南子』【同義】「一花開けて天下の春」。一犬、影に吠ゆれば、百犬、声に吠ゆ(いっけん、かげにほゆれば、ひゃっけん、こえにほゆ)。一匹の犬が何かの影を見て吠えだすと、その声につられて、そのあたりの犬がみな吠えだすということ。ここで犬にたとえられているのは人間で、一人が何かをいいだすと、それがたとえ、でたらめであっても、世間の人はそれを信じて騒ぎたてる、ということ。一将功成りて万骨枯る(いっしょうこうなりてばんこつかる)一人の将軍が手柄を立てて名をあげるかげには、多くの兵士たちが死んで骨を戦場にさらすという犠牲がある。一人の成功のかげには多くの犠牲がかくされている、ということ、成功者にたいするいましめ。一敗地に塗れる(いっぱいちにまみれる)完全に敗北して、どろだらけになること。また脳みそや腸が地にまみれて、ちらばっている様子。漢の建国者である高祖が「天下が乱れ諸侯が立ちあがっている今、何とかしなければ、二度と立ちあがれなくなってしまう」といったことから。〔出典〕『史記』。15欢迎下载。 精品文档寿長ければ辱多し(いのちながければはじおおし)長生きすると、何かにつけて恥をかくことが多い、ということ。『荘子(そうじ)』に「男の子が多いと心配事が多く、財産があると雑事が多く、寿命が長いと恥が多い。この三つの徳を養うのに役立たない」という。しかし、長生きをしたいと思うのは人間の常で、まったく逆に「命長ければ蓬莱に逢う」などということばもある。【同義】「命は槿花の露の如し」。井の中の蛙大海を知らず(いのなかのかわずたいかいをしらず)狭い世界の中に安住して、それを最もよいと思っている、ひとりよがりをいましめることば。自分の住んでいる世界以外のことば、基本的には知ることはできないが、われわれは書物や映像によっていろいろな世界を知ることができる。しかし、それだとて、本当に知っているといえるかどうか。【同義】「井の中の蛙」。鰯の頭も信心から(いわしのかしらもしんじんから)鰯の頭のように、まるで信仰の対象にならない、ようなものでも、それを信じている人にとっては尊いものにみえるということ。信仰は当事者としては、対象がなんであっても、ありがたいものということである。たとえば、人参を毎日飲み続けていた人が盗賊に襲われたとき、どこからともなく赤い服を着た男があらわれて助けてくれた、というような話がある。信仰の強さをたとえているのであろう。牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)むかし、善光寺のそばに老女が住んでいた。ある日、庭にさらした布をかけておいたところ、隣の牛がそれを角にひっかけて善光寺へかけこんでしまった。それを追いかけてきた老女は、はじめてそこが名高い霊場であることを知り、以後は、たびたび参詣したという。そこから自分の本心からではない、きっかけで信仰をもったり、よいことをしたりすることをいうようになった。今日の意味は、思いがけずに、ものごとがよい方向へはこぶこと。嘘も方便(うそもほうべん)もともと嘘をつくのは悪いことであるが、大事な目的のためには、嘘も許される。方便とは仏教語で到達するということで、衆生(一般民衆)を救うためによい方法を用いる、という意味。衆生を悟らせ、救うという目的のためには、仏すらも嘘をついた。ただし、衆生を救うという至上の目的がある場合にのみ、嘘は許されるのである。現在では、ある目的のために嘘をついても仕方がないというように用いられることわざでである。怨み骨髄に入る(うらみこつずいにいる)根(こん)の字の「うらむ」は、いつまでも残っている心、という意味をもつ字。怨(えん)の字は、夘が身を曲げるという意味があり、まがった心のこと。もとは根が自分に対する感情、怨が人に対する感情をいった。怨みの気持ちが骨の髄までしみわたるほど激しいこと。【同義】「怨み骨髄に徹す(=徹る)」。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)小人物には大人物の志が理解できないものであるという嘆(なげき)のことば。燕雀はつばめとすずめで、小さな鳥のこと。鴻鵠はおおとりとくぐいで大きな鳥のこと。陳勝という百姓が、ある日仲間に「将来おれが出世しても忘れないでいよう」といった。仲間が笑うと、陳勝が嘆いていったことば。こ16欢迎下载。 精品文档の陳勝が、後に「陳勝・呉広の乱」をおこし、一時楚王にまでなった人物である。遠慮なければ近憂あり(えんりょなければきんゆうあり)「人として遠き慮(おもんばかり)なき者は、必ず近き憂(うれい)あり」が原文。遠い、近いは時間的な遠さ、近さをいったもの。遠慮とは、遠い先のこと、まだ起こらないことにそなえることをいった。そこから変化して、言葉や行動などを他人に気がねして控えめにすることをいうようになった。今日の意味は、普段から、ずっと先のこと、将来のことまで考えていないこと、必ず身近なところでさし迫った問題がおこってくる、ということ。〔出典〕『論語』。老いては子に従え(おいてはこにしたがえ)年をとったら意地をはるよりも、子供のいうことに従うほうがよいということ。子供たちの意見にも耳を傾けよう。出しゃばったり我を張ったりず、何事も子に任せて、これに従っていくほうがいいということ。〔類義語:老いては麒麟も駑馬に劣る〕老いては麒麟も駑馬に劣る(おいてはきりんもどばにおとる)麒麟はここでは空相上の動物ではなく、一日に千里を走るといわれる名馬、駑馬はのろのろした劣った馬のこと。このことばは、中国戦国時代のことを書いた「戦国策」にある、「麒麟の衰えるや、駑馬これに先んず。孟賁(もうほん)の倦むや、女子これに勝る」から。今日的意味は、若い頃、ひじょうにすぐれていた人も、年をとると動きがにぶって普通の人にも及ばなくなってしまう、ということ。大風吹けば桶屋が喜ぶ(おおかぜふけばおけやがよろこぶ)あてにならないことを期待する、また物事は思ってもみない方向へ発展するものだ、ということ。大風の吹いたある日、桶屋のおやじがいさんで帰ってきた。「おい、すごい風だ。桶だ、桶が売れるぞ」。おかみさんはわけがわからず「一体どういうことだい?」とたずねる。「いいか、風が吹けば砂ぼこりが舞って、人の目へ入るだろ。そうすると盲人がふえる。盲人は三味線を習うから三味線が売れる。そうすると皮になる猫がとられて減る。すると鼠がふえて桶をかじるってぇ寸法だ」。遅かりし由良之助(おそかりしゆらのすけ)歌舞伎から出たことばで、間にあわなかった、遅すぎた、の意。塩谷判官(えんやはんがん)は殿中で高師直(こうのもろなお)に切りかかった罪で切腹を命じられる。切腹の場で判官は、国家老、大星由良之助の到着を待ちわびるが、なかなか由良之助はやってこない。ついに判官が刀を腹に突きたてたその時、由良之助が到着する。実は歌舞伎には「遅かりし由良之助」というせりふは、なかったが、それがこういうことばとなって広まったのである。〔出典〕『仮名手本忠臣蔵』。小田原評定(おだわらひょうじょう)天正十八年(1590)豊臣秀吉は北条氏を攻め、小田原城を包囲した。城中では北条氏政・氏直が腹臣と和戦を決する話しあいをつづけるが、意見が対立し、百日たってもいっこうに結論がでなかった。結局、包囲百余日で小田原城は落城し、奥州の伊達政宗も豊臣秀吉と結ぶことになり、秀吉の全国制覇が遂げられた。ここから、いつになってもまとまらない相談、結論のでない会議のことをいう。男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く(おとこやもめにうじがわきおんなやもめにはながさく)やもめとは、連れ合いを失った者、また独身者。17欢迎下载。 精品文档男の独り暮らしは、家の中や身だしなみが不潔になりがちだが、女の独り暮らしは、小奇麗にして男たちからもてはやされるということ。類義語:男後家にはぼろ下がり女後家には花が咲く:男やもめに雑魚たかる:後家花咲かす。己の欲せざる所は人に施す勿れ(おのれのほっせざるところはひとにほどこすなかれ)孔子に弟の子貢が「生涯を通じて行うべきことを一言でいうならばどういうことですか」とたずねた。すると孔子が「それは恕(思いやりの心)であろう」といって、このことばで恕とはどういうものかを説明した。すなわち、自分のして欲しくないと思うことは、他人もしてほしくないのだから、他人にもしてはいけない、ということ。〔出典〕『論語』。親の心子知らず(おやのこころこしらず)親が子供のためを思ってあれこれ心をくだき、うるさいこともいうのに子供は親の愛情がわからず、反抗したり勝手なことをやったりする、ということ。やはり「子を持って知る親心」で、子供を持ってみないと親の子に対する愛情や苦労はわからない、ということであろう。しかし現代では身勝手な親、たよりない親もいて「子の心親知らず」という場合も、ままある。吉田松陰の牢獄から親にあてた歌に「親思う心にまさる親心今日のおとずれ何と聞くらん」がある。親はなくとも子は育つ(おやはなくともこはそだつ)親がいなくても、子供は何とか成長するものだ、心配してあれこれ手を出すよりも、放っておくほうがいい場合もある、ということ。親は自分がいなくなったら子供は生きていくことができないのではないか、と思いがちであるが、はたから見ればそれはど心配することでもない。親が子供を思う気持ちをいったことわざは多いが、これは子供のたくましさをいったもの。貝殻で海をはかる(かいがらでうみをはかる)狭い知識や経験をもとにして大きな問題を考えること。貝殻のような小さなうつわで、海の水がどれだけあるかを測ろうとしても、貝殻は役に立たないから。【同義】「貝殻で海を干す」、「貝殻で海を汲む」、「よしのずいから天井をのぞく」。隗より始めよ(かいよりはじめよ)戦国時代の燕の国、照王がどうしたら、よい人材を集めることができるかと郭隗(かくかい)に相談した。隗がいうには「昔、千里の馬を求めていた王が、なかなか手に入れられず死んだ名馬を高く買ったところ、それが評判になって念願がかなったといいます。あなたがよい人材を集めたいと、お思いでしたら、まずこの隗を優遇なさい。そうすればすぐれた人材が遠くからやってくるでしょう」と。ここから大きな事をするためには、まず身近なところから始めよ、ということ。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)春秋時代、呉(ご)と越(えつ)とは常に争っていた。越に父を殺された呉王夫差は薪(たきぎ)の上に寝て苦しみを忘れないようにし、ついに会稽山で超王勾践を降した。勾践は命を助けられ、胆を部屋にかけて常にこれを嘗(な)めてその苦さに会稽の恥を忘れないようにし、のちに夫差をほろぼした。いずれもすさまじいばかりの執念である。ここから、目的を果すために、自分を苦しめ努力すること。苛政は虎よりも猛し(かせいはとらよりもたけし)18欢迎下载。 精品文档孔子が泰山のふもとを通りかかると、墓のところで女の人が泣いている。孔子は弟子の子路にそのわけをたずねさせた。すると女の人がいうには「私の舅は虎に殺されてしまったのです」という。孔子が「それならなぜこんな危険な土地を去らないのですか」ときくと「ここはよその土地のように苛酷な政治がないからです」と答えたという。そこで孔子が弟子にいったことばで、苛酷な政治は、虎よりも人に恐れられる、ということ。〔出典〕『礼記』「壇弓」。稼ぐに追いつく貧乏無し(かせぐにおいつくびんぼうなし)仕事を一生懸命やって稼いでいれば、貧乏することはない。ところが井原西鶴の『日本永代蔵』のなかには「かせぐに追いつく貧乏神」ということばがみえ、やはり稼いでも稼いでも貧乏からぬけだせない、というのも人生のひとつではあるようだ。このことわざは、だからこそ一生懸命働きなさい、という教訓を含んでいるのだが、一方で「貧乏神」のような真理をついた、ことわざもあっておもしろい。瓜田に履を納れず(かでんにくつをいれず)「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」と、対になっている。瓜の畑では足元に瓜がなっているから、たとえ履が脱げても身をかがめて、はくことをしない。李の木の下では頭の上に実がなっているから、たとえ冠がまがっても手を上げて直すことをしない。本当に盗っていないから、いいではないか、と思うかもしれないが、つまらないことで疑われないほうがいい。そこから、人から疑われるようなことはするな、といういましめ。〔出典〕『古楽府』。鼎の軽重を問う(かなえのけいちょうをとう)楚の荘王は天下をうばう野心をもっていた。そこで周の定王をたずね、周王朝に天子のしるしとして伝わっていた「九鼎」の大きさ、重さをきたという。つまり天下をうばい、鼎を運ぶための下準備をしようとしたわけで、ここから人の地位をくつがえそうとすること、人の能力を疑うことをいう。ちなみに定王の答えは「(天子の証は)徳にあるのであって鼎にあるのではない」であった。〔出典〕『春秋左氏伝』。株を守りて兎を待つ(かぶをまもりてうさぎをまつ)中国の宗の時代、一人の男が畑を耕していると一羽の兎がとびだしてきて、偶然切り株にぶつかって首を折り死んでしまった。男はこれを見て「そうだ、また兎がとびだしてきて死ぬかもしれない。見張っていよう」といって鍬をなげ出し、切り株の番をして暮らし、国中の笑い者になってしまった、という。そこから、古い習慣をまもって融通のきかないことをいう。〔出典〕『韓非子』。画餅に帰す(がべいにきす)考えていたことや計画していたことが駄目になってしまうこと。画餅は絵に書いたもち、役にたたないこと。【同義】「水泡に帰す」、「水のあわ(になる)」。壁に耳あり(かべにみみあり)だれも聞いていないなどと思って話をしていると、どこで誰が聞いているかわからない、秘密の話などはもれやすい、ということ。『平家物語』には、西光法師が口をきわめて平家をののしるので、人々が「壁に耳あり、おそろしおそろし」といいあったという記事がある。西光はあまりずけずけといいたいことをいうので、清盛の怒りをかい、むごい殺され方をした。19欢迎下载。 精品文档画竜点睛(がりょうてんせい)中国の梁の国の張僧?(ちょうそうよう)が安楽寺の壁に竜を描いた。最後に睛(ひとみ)を書き入れたところ、壁の竜はたちまち天に昇ってしまったという。「画竜天睛を欠く」とは、ものごとの最後の仕上げがなく、不完全なこと。したがって、「画竜点睛」とはもっとも中心的な部分や、大切な部分を付け加えてものごとを完成させること、またわずかなことが全体をひきたたせ、いかすこと。彼を知り己を知れば百戦殆からず(かれをしりおのれをしればひゃくせんあやうからず)敵と見方との実力状態をよく知ったうえで計画をたてれば、何度戦っても負けることはない、ということ。孫子の兵法のうち、もっとも有名な一節。このあと「彼を知らずして己をしれば一勝一敗す。彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必ず破る」(敵を知らず、味方の状態だけを知っているときは、勝敗は五分である。敵の状態も味方の状態も知らなければ必ず負ける)とつづく。韓信の股くぐり(かんしんのまたくぐり)韓信は中国漢代の武将。まだ若く無位無官であったころ、町で無頼の若者に侮辱され「勇気があるなら俺を刺せ。刺せないならおれの股をくぐれ」といわれ、四つんばいになってその若者の股をくぐった。この韓信が後に張良、蕭何(しょうか)とともに漢の三将とよばれる武将になり、高祖をたすけておおいに活躍したのである。ここから、将来おおきなことを、なしとげようとするものは、つまらないことで争ったりせず、耐え忍ばなければならないというおしえ。肝胆相照らす(かんたんあいてらす)肝胆は肝臓と胆のうのこと。そこから腹の中心の中、本当の気持ちをいう。お互いに心の中まで打ちあけ合って、親しく交際すること。「肝胆相照らす、斯れ腹心の友たり」という文章がある(『故事成語考』)。【同義】かんたくを吐く(本心を打ち明ける、ほんねをいう)」、「かんたくをひらく(心をひらいて語る、腹を割って話す)」。管鮑の交はり(かんぽうのまじわり)中国春秋時代、斉(せい)の国の管仲と鮑叔とは、貧しいながらも一緒に商売をしていた。管仲は分け前を多く取ったが、鮑叔は「管仲は私より貧しいのだから」と責めなかった。管仲が失敗しても、鮑叔はとがめることなく、変わらぬ友情をもちつづけた。のちに鮑叔は桓公に仕え、管仲を推薦して二人で桓公を助けたという。ここから、友達としてひじょうに親しく交際することをいう。管仲は「我を生む者は父母、我を知る者は鮑叔」といっている。〔出典〕『史記』。棺を蓋いて事定まる(かんをおおいてことさだまる)中国晋代の歴史を書いた『晋書』の「丈夫は棺を蓋うて事まさに定まる」という文章からきたことば。棺はひつぎ。棺を蓋う、とはその人が死んで棺に入れられ、その棺にふたをする、ということ。生きて仕事をしている間には、高く評価されていても大きなミスなどで評価を下げることもあるが、死んでしまえば、生前の仕事で客観的な評価ができるということ。奇貨居くべし(きかおくべし)秦の商人呂不韋が、趙に人質となって不自由な生活を送っていた秦の王子、子楚を助けたときにいったことば。この奇貨は、子楚をたとえていったもので、めずらしいものだからあとで利益を生むだろう、ということ。子楚は始皇帝の父荘襄王となり、呂不韋はその大臣となった。〔出典〕『史記』。樹、静かならんと欲すれども風止まず(き、しずかならんとほっすれどもかぜやまず)20欢迎下载。 精品文档これは『韓詩外伝』にある詩の一節で、このことば自体のの意味は樹が静にしていたいのに風が止まない、つまり思いどおりのことができない、ということ。それが親孝行に限定されるのは、このあとに「子、養わんと欲すれども親待たず」という一節がつづくからである。そこから、子供が親に孝行したいと思ったときには、親はこの世にはいない。だから親のいきてるうちに孝行しなさい、ということ。きじも鳴かずば撃たれまい(きじもなかずばうたれまい)よけいなことをして、自分の身に災いをまねいてしまった人を批判的にいうことば。きじは草原や低木林に住んで草、木の実や虫を食べる、日本の国鳥。「きじの草隠れ」といえば「頭隠して尻隠さず」とおなじ。きじは隠れるとき頭だけ草の中につっこみ、尾が出たままであることにきずかないことからできたことば。【同義】「とりも鳴かずば撃たれまい」、「鳴く虫はとられる」。木に緑りて魚求む(きによりてうおもとむ)斉の国の宣王に孟子が「武力によって天下を得ようとするのは、木によじ登って魚をつかまえるようなものだ」といったことによる。王が「自分のしていることはそれほど実現できないことか」ときくと「それよりもっと悪い。木に登って魚をとろうとしても魚がとれないだけですが、王のやっていることは後々必ずわざわいをうむだろう」といったという。ここから、見当ちがいの方法で目的を実現しようとすること、また実現不可能なのぞみをいう。〔出典〕『孟子』。驥尾に付す(きびにふす)「驥」は千里をはしる名馬のこと。「尾」は文字通り尻尾。「驥尾」ですぐれた人の後のたとえ。青蠅が自分自身では遠くまで飛べないにもかかわらず、名馬の尻尾にしがみついていけば一日千里でも行くことが、できるところから、愚者でも賢人の後についてゆけば、何かはやりとげられるというたとえ。秀れた人につきしたがって行動したり、秀れた人の仕事などを見習ってすること。多くは自分のことを謙遜して使うことば。杞憂(きゆう)「杞」は古代中国の国名。「杞」の国のひとは天がくずれ落ちてくることを心配して夜も寝られず、食事ものどを通らなかったことからきている。必要のないこと、あり得ないことを、あれこれと心配すること。不必要な心配。とりこし苦労のこと。「杞憂に過ぎる」、「杞憂に終わる」などと使う。〔出典〕『列子』。窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)「窮鼠」は追いつめられて逃げ場を失った鼠のこと。追いつめられてしまった鼠がどうすることもできなくなって逆に猫に噛みつくことから、弱くても力のない者でも、絶体絶命でどうすることもできなくなった時には、強いものに反撃することがある。必死の覚悟をきめれば、弱い者も強いものを苦しめることのたとえ。【同義】「窮鼠かえって猫を噛む」、「闘雀(争っているすずめ)人を恐れず」。漁夫の利(ぎょふのり)「漁夫は」漁業に従事している人、漁師のこと。しぎと、はまぐりが海辺で争って、はまぐりが、しぎの口ばしをその殻ではさんでしまって両者とも身動きがとれなくなっていたところに漁夫が来て、両方とも手に入れた、ということ『戦国策』の故事から。二者が争っているすきにつけ込んで、第三者がほとんど苦労することなく、利益をおさめることのたとえ。愚公山を移す(ぐこうやまをうつす)21欢迎下载。 精品文档「愚公」は愚かな男の意味。中国で、昔、愚公という男が、ある山を他の場所に移そうとして、永年努力しつづけたので、神がその愚公の努力に感じ入って、山を移してくれたという故事から。怠ることなく努力をしつづければ、一見成功しそうもない、また常識的に不可能と思われるような大きな事業も成就するというたとえに使われる。いつの世でも努力は必要欠くべからずもの。口に蜜あり腹に剣あり(くちにみつありはらにけんあり)中国の、唐時代の玄宗皇帝の帝相(大臣)であった李林甫の人柄を述べる際に使われたことば。人に対して、口先だけではやさしいことを、いっておきながら心の中では言葉とはうらはらに陰険なこと。国破れて山河あり(くにやぶれてさんがあり)中国の唐の詩人杜甫の「国破山河有城春草木深(城春にして草木深し)」という詩の一節から。戦乱のために、国は滅びてもとの姿は失われてしまってっも、山や川などの自然だけは昔のままの姿を残していることをいう。松尾芭蕉は、杜甫の詩を愛し、有名な『奥の細道』にもしばしば杜甫の詩をひいている。これも「国敗れて山河あり、城春にして草青みたり」として引用されているのでむしろそれで知られる。鶏口と為るも牛後となるなかれ(けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)「鶏口」は、にわとりの口のことで、小さな団体のリーダーのことをたとえていう「牛後」は牛の尻。「後」をうしろとするのは誤り、大きな団体にただ所属しているよりは、小さい団体でもよいから、そのリーダーとなった方がよいということ。小さな団体であってもリーダーともなれば苦労も多く、それだけ自分のためにもなるということ。鶏口牛後。〔出典〕『戦国策』。鶏肋(けいろく)「肋」は、あばら骨のこと。ニワトリのあばら骨は、少しは肉が付いているので、そのまま捨てるにはもったいないというところから、たいして役にはたたないけれども、ただ捨てるにはおしいもののことをいう。『後漢書』に「夫鶏肋の、これを食すればすなわち得るところなく、葉つればすなわち惜しむべきがごとし」とあるところから出ている。『初鰹下女鶏肋をしゃぶっている』(川柳)。下戸の建てた蔵はなし(げこのたてたくらはなし)「下戸」は酒の飲めない人、または好まない人。酒を飲まない人は、酒に金を使わないので金を残しそうなものだが、必ずしも金を残すのではなく、倉を建てたという話もきかない。適当な量の酒を飲んで楽しんだ方がよいという意に使われる。『めでたやなげこのたてたるくらもなしじょうごのくらもたちはせぬども。(『醒睡笑』)。毛を吹いて疵を求む(けをふいてきずをもとむ)毛を吹き分けて傷を探し出す意。わざわざ好んで人の欠点を指摘すること。またわざと他人の弱点をあばいて、かえって自分の欠点をさらけ出すことになること【同義】「毛を吹いて過怠の疵を求む」。後生畏るべし(こうせいおそるべし)「後生」は後から生まれること、また後に学ぶこと。またはその人、行進のこと。自分より後から生まれてくる者は、これからどれほどの力量や能力を示すか測り知れないから、おそれなければならないということ。〔出典〕『論語』。22欢迎下载。 精品文档狡兎死して走狗烹らる(こうとししてそうくにらる)「狡兎」は、すばしこいうさぎのこと。「走狗」は狩の時に鳥や獣を追うために人に使われる犬。狡兎が死ぬと狩の時に使う猟犬は不要となって煮て食われてしまう。敵国が滅亡すれば、それまで功績のあった謀臣は今度は邪魔にされて殺されるということのたとえ。「狡兎尽きて良犬烹らる」ともいう。他に狡兎を使った慣用句として「狡兎三窟(兎はいざという時のためにたくさんの逃げ道を用意しておくということ=用心深いことのたとえ)」がある。〔出典〕『韓非子』。弘法も筆の誤り(こうぼうもふでのあやまり)「弘法は」真言宗開祖である空海のこと。弘法大師。唐に渡って学問を修めた。書道の名人として有名だった。弘法大師のような書道の名人でも書き誤りをすることがあるということ。その道に長じた人でも時には失敗することがあるというたとえ。「弘法筆を選ばず」(真にその道に長じた人はどんな道具を使ってもすぐれた成果をあげることができるという意)も、弘法大師が登場する慣用句の一つ。【同義】「猿も木から落ちる」、「河童の川流れ」、「上手の手から水がもる」。紺屋の白ばかま(こうやのしろばか)「紺屋」は一般には「こうや」と読む。「こんや」が変化した語。染物を仕事とする家。またその人の。元来は藍染屋に限って使ったが後にはひろく染物屋のことをいうようになった。他人のための仕事にばかり忙しくて、自分のことに手がまわらないことのたとえ。またやる気になればすぐにできるにもかかわらず放置しておくことをいう。虎穴に入らずんば虎子を得ず(こけつにいらずんばこじをえず)「虎穴」は虎が住んでいる穴のこと。転じてひじょうに危険な場所や状況のたとえ。虎の住んでいる穴に入らなければ、虎の子供を奪いとることはできないことから、転じてひじょうな危険をおかさなければ貴重なものを手に入れたり、功名を得たりすることはできないことのたとえ。五十歩百歩(ごじゅっぽひゃっぽ)戦争の時に、戦闘開始の合図のどらが鳴りひびくやいなや五十歩逃げた者が百歩逃げた者を臆病だと笑うこと。自分と大差がないのに人のことを笑ったりばかにしたりすること。どちらも不十分、不完全であることにはかわりがなく、本質的にはあまり違いのないことのたとえ。〔出典〕『孟子』。先んずれば人を制す(さきんずればひとをせいす)「先んずる」は、他よりも先へ進む、先行する。「先にする」の変化した語。他の人よりも先に事を行えば、人よりも有利な立場に立つことができる。また先手を討つことができなければ、相手を制圧することができないことをいう。現今の大学生の就職活動などは、まさに「先んずれば人を制す」の典型で、はやければはやいほどよいようになってきている。〔出典〕『史記』。酒は百薬の長(さけはひゃくやくのちょう)酒は適当な量を飲んでいれば、健康のためにもよく、特に害はない。酒と人とは切っても切れないものらしく、古来酒に関係しているいいまわしは多い。「酒なくて何のおのれが桜かな」などといって盃を重ねれば、「酒が酒を飲む」となり、しまいには「酒に飲まれる」「酒人を飲む」となる。日本では上代はすべて濁酒であって、清酒は室町時代ぐらいから、つくられるようになったという。誘う水あらば(さそうみずあらば)『古今和歌集』の小野小町の歌に「わびぬれば身を浮草の根をたえてさそふ水あらばいなんとぞ思ふ」とあることからきている。誘い招く者。また女性に交際を求めたり、結婚を申し込んだりすることがあ23欢迎下载。 精品文档れば、それに応じてもよいという気持ち。『さそふ水あらばと母は気を通し』(川柳)。去る者は追わず(さるものはおわず)物事はあきらめが大切な場合もある。「去る者」を使った慣用句に、「去る者は日々に疎し」=親しかった人でも別れてしまうと、しだいに交情が薄くなっていくこと。死んだ人は月日が経つにつれてだんだんと忘れられていくこと。「去る者」とはいずれも自分と何らかのかたちで関係をもっていた人であること。自分から離れていこうとする者は、その人の自由な意志にまかせて無理に束縛したりすることはしないことをいう。三顧の礼(さんこのれい)古代の中国の国、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)が諸葛孔明(しょかつこうめい)の庵を三度も訪れて、とうとう自分の国の軍師として迎えた故事による。「顧」はたずねること。目上の人が、すぐれた人に礼をつくして仕事を頼むこと。また目上の人がある人を特別に優遇したり信任したりすること。単に「三顧」ともいう。いつの世の中でも礼をつくすことは必要である。三舎を避く(さんしゃをさく)「三舎」は、古代中国で、軍隊の三日間の行程のこと。一日一舎を行軍するするとされており、現在の約六十キロメートルにあたる。三日間の行程ほどの距離の外にしりぞくこと。恐れて遠く避けること。相手を恐れてしりごみをすること。へりくだった態度をとること。遠くおよばない。とうてい比較にもならない。まったく問題にならないこと。〔出典〕『春秋左子伝』。三尺下がって師の影を踏まず(さんじゃくさがってしのかげをふまず)「三尺」は約九十センチメートル。弟子が先生にしたがっていく時に、あまり先生に近づいては礼を失するので、三尺、後に離れてしたがうということから、弟子は先生を尊敬して、礼儀を失わないように、しなければならない、ことのたとえ。【同義】「三尺去って師の影を踏まず」。三十六計逃げるに如かず(さんじゅうろっけいにげるにしかず)中国の古代の戦いの方法で用いられた語。「三十六計」は三十六種類の計略。兵法上のいろいろなはかりごとやかけひきのこと。三十六策ともいう。たくさんある計画のなかで、どうにも困っていきづまった時は、あれこれと考え迷うよりは時機を見て逃げ出し、まず身の安全を保つことが最上の方法であるということの教え。ひきょうなために逃げるのではなく、身の安全をはかって、ひとまず退き、後日の再挙をはかれということ。転じて、めんどうなことがおこった時は、にげるのがよいということ。死灰復た燃ゆ(しかいまたもゆ)「死灰」は火の気がなくなって冷たくなった灰のこと。冷たくなった灰がふたたびもえることから、いったん衰えてしまったものが再び盛んになること。あるいは一度落着しかかったものがまた起こることのたとえ。漢の時代に韓安国という人が罪に陥った時に、獄史の田甲という人が、彼をさらし恥ずかしめたのに対して「死灰復燃ゆ」といったという故事からでている。落ち目の人をあなどると後になって痛い目を見るという警告でもある。〔出典〕『史記』。鹿をさして馬と為す(しかをさしてうまとなす)中国の秦の国の趙高が、自分の権力で、皇帝に対して鹿を馬といって押し通した故事から誤りを無理に押し通すこと。また人をだましたり、愚弄したりすることをいう。〔出典〕『史記』。24欢迎下载。 精品文档自家薬籠中のもの(じかやくろうちゅうのもの「自家」はその人自身の家のこと。「薬籠」は薬箱のこと。自分の家の薬箱のなかのもののように、自分の意のままに、利用できるもの。また自分のものとして取り入れて自由に使うことができるものという意。地獄の沙汰も金次第(じごくのさたもかねしだい)地獄で罪人が受ける裁判も、金を出せば自分に有利になるというくらいだから、現実のこの世では金さえあれば、なにごとも思うがままに、なるということのたとえ。金はあの恐ろしい、えんま大王でさえも左右することが、できるとなれば世の中で金ほど恐ろしいものは、ないということになる。「地獄に仏」、「地獄は壁一重」、地獄も住家」など、地獄を使った慣用句は多い。死屍に鞭うつ(ししにむちうつ)「死屍」は、しかばね、死体のこと。中国の春秋時代に、五子胥(ごししょ)が父や兄の仇である楚の国の平王を三百回むち打ったという故事から、死んだ人の行為や言動を非難すること。現在では「死者に鞭打つ」の方が一般に多く使われている。いうまでもないが、死者の尊厳はいつの世も、また、どこの世界でも重んじられるので、この行為は非常のものとして歓迎されない。単に失敗したり落ちこんでいる人に、さらに元気を失わせるようなことをする場合にも応用される。〔出典〕『史記』。弱冠(じゃっかん)中国の周代の制度では男子二十歳を「弱」といい、その時に元服して冠をかぶるところからいう。時に「若冠」と書くこともあるが「若」はあて字。現在では、単に年齢の若いことや弱年であることをいうのが一般的になりつつある。ちなみに十歳を「幼」といい、三十歳は「壮」といい、四十歳は「強」という。〔出典〕『礼記』。柔よく剛を制す(じゅうよくごうをせいす)かたくて強いものを制圧するものは、よりかたくて強いものと思われがちであるが、実際は必ずしもそうではなく、やわらかいものが、かたくて強いものを制圧する、ということ。たとえば雨だれが長い時間の間には石に穴をあけたり、雑草がコンクリートの割れ目からはいだすなど、柔軟なものが堅強なものよりも力がすぐれていることもあるということ。「弱能く強を制す」と対になっている。〔出典〕『老子』。小人閑居して不善をなす(しょうじんかんきょしてふぜんをなす)「小人」は徳のない品性のいやしい人。度量が狭くて器量のない人。小人物。「閑居」はなにごともすることがなくて、ひまなこと。徳がなく品性のいやしい人はヒマであるととかく良くないことをするということ。それだけに「閑居」した時にこそ、自分に対して厳しくしなければならないこと。人が見ていまいが聞いていまいが、言行を慎んで気をつけるようにすることが大切。少年老い易く学成り難し(しょうねんおいやすくがくなりがたし)現在ではふつう「少年」といえば、小学中学生ぐらいをさすが、この場合は、年の若いもの。若者ぐらいの意味。若いと思っているうちに、すぐ年をとってしまい、こころざしていた学問はなかなか進まないということ。年月は無為にしているとすぐにすぎやすいので、寸刻をおしんで勉強せよということ。25欢迎下载。 精品文档食指が動く(しょくしがうごく)「食指」はひとさし指。中国の鄭(てい)の国の子公が、ひとさしゆびの動いたのを見て、ごちそうがでてくる前ぶれだといったという。食欲がおこってくる。転じて一般に、自分のものにしたいという欲望をおこす。欲しがること。〔出典〕『春秋左子伝』。助長(じょちょう)中国、春秋時代の宋の国の、ある男が畑に作物の苗を植えた。だが、みるみるうちに大きくなる、というわけにはいかない。彼は苗が、なかなか生長しないことを気にやんで、一本一本その穂を引っぱって伸ばしてやった。家にたどりつき、男は「今日は苗を引っぱって生長を助けてやった」といったということから、生長を助けようとしてむりに力を加えて、逆に害をなすこと。人生意気に感ず(じんせいいきにかんず)「人生」は人間の生活、また人間がこの世に生きていくことを意味している。人間は、人の気性のいさぎよさを認め、それに感じて仕事をするのであって、金や名誉など、自分のためだけにするのではないということ。相手がきっぷのよさを示した時は、それに感じて自分の損得などを考えずに仕事をすること。現今は「合理主義」の名のもとに打算的で、すぐに自分の利益をはかる人がふえてきたようであるが「人生意気に感ず」の精神を忘れずに。人事を尽くして天命を待つ(じんじをつくしててんめいをまつ)「人事」は人間に関係していることがら。人間社会のことで「自然」に対してのこと。「天命」は人間にさずけられた運命のこと。人間の力で、できるだけのことをしてその結果については運命にまかせるのみ、ということ。人間の力にはもともと限りがあって、どんなに細心の注意をしていても、人間には思いもしない事件が起こって自分の行為を自分の思いどおりにすることはできないが、だからといって何事もはじめからあきらめていてはだめ。まず自分の力で、できるだけのことをして、そのうえで運を天にまかせるべきだということ。水魚の交はり(すいぎょのまじわり)「水魚」は文字通り、水と魚。転じて、魚と水がきってもきれない関係であるように、きわめて親密な交際のたとえ。「三顧の礼」をつくして諸葛孔明を得た劉備(りゅうび)は、そのすぐれた能力に感じ入って師とあおぎ寝食をともにするまでになった。若い諸葛孔明に対する王の傾倒ぶりをねたんで、武将たちが非難すると、王は「私が孔明を得たことは、ちょうど魚が水を得たようなものだ」といったことからでている。過ぎたるは及ばざるが如し(すぎたるはおよばざるがごとし)物事にはなんでもそれにふさわしい程度というものがあって、それを超えてしまうことは、不足しているのと同様にほめられた、ことではないということ。なんでも度を過ごしてしまえば、足らないのと同様によくない。『論語』の教えのなかで重要なことの一つは「中庸」(ちゅうよう)である。これは、なにかにかたよることなく、中正なことをいうが、適度なことを重んじている。このことわざも、その「中庸」の精神を表わしたもの。青天の霹靂(せいてんのへきれき)「青天」は青くすみわたった空、晴れた空、青空のことで「晴天と」ほぼ同じ意味。「霹靂」は「霹」も「靂も」かみなりのことで、はげしく鳴りひびくかみなりの意味。すみきった青空に急に鳴り響く雷のこと。これは宋の時代の有名な詩人陸游(りくゆう)(放翁)(ほうおう)の詩からでた言葉で、彼26欢迎下载。 精品文档の書の筆勢の雄大でおどるような様子を形容した言葉である。元来は筆勢のことをいうものであったが、今では突発的におこった大事件の意で用いられている。背に腹は代えられぬ(せにはらはかえられぬ)同じからだの一部分でも、背中を腹とかえることはできない。この場合「背」は「腹」よりも重要な部分であるという考え。大事なことのためには、他のことを注意する余裕がないことのたとえで、大きな苦痛を避けるためには、小さな苦痛はやむをえないこと。船頭多く船山へのぼる(せんどうおおくふねやまへのぼる)船は一人の船頭があやつってこそ思いのままに動くもの。船頭がたくさんいて、それぞれが自分勝手な方向にこげば、船はとんでもないところに着いてしまう。転じて異なった意見を主張する人が多数いてものごとがすこしも進まないこと。先鞭をつける(せんべんをつける)「先鞭」は文字通り他人に先だって馬を鞭打つこと。他人より先に馬に鞭打って、さきがけの功名をすること。人より先にものごとに着手すること。さきがけ。ぬけがけ。「祖生鞭」(そせいのむち)または「祖鞭」(勉励して人と先を争うこと。晋の劉?(りゅうこん)が、友人の祖逖(そてき)が先に官吏に登用されたのを聞いて、祖生=祖逖=にさきに鞭をつけられたといった故事)も同じような意味で使われている。〔出典〕『晋書』。前門の虎後門の狼(ぜんもんのとら、こうもんのおおかみ)「前門」はまえの門、正門。「後門」はうしろの門。一つのわざわいをのがれても、さらにまた他のわざわいがふりかかってくることのたとえ。表門に来ている虎をふせいでいるあいだに、裏門から狼がおそいかかってくるという意。【同義】「一難さってまた一難」。千里の行も足下に始まる(せんりのこうもそっかにはじまる)「千里」は現在の単位で、約三九三〇キロメートルにあたる。転じて遠方のこと。遠い路程も足元の第一歩から始まること。転じて、ひじょうに遠大な計画も、はじめは手近な所から始まるということ。。地道なこつこつとした努力が、大業をなし得る、もとであるということ。〔出典〕『老子』。千慮の一失(せんりょのいっしつ)「千慮」はあれこれと考えをめぐらすこと。多くの思慮。賢い人でも多くのうちには考え違いや失敗が必ずあるということ。配慮をめぐらしていても思いがけない失敗はさけにくいということ。これに対して「千慮の一得」は、愚かな人の考えでも、たまには名案もありうるということをいう。ことわざや慣用句には、このようにまったく反対の意味を表わすものがある。それだけ人間世界が複雑だということか。創業は易く守成は難し(そうぎょうはやすくしゅせいはかたし)「創業」は事業を新しく始めること。「守成」は、創始者の意志をうけつぎ、その成果をさらに強固なものに発展させること。中国、唐の太宗が家臣たちに、創業と守成とどちらが、むずかしいかと問い、それに対して家臣の魏徴(ぎちょう)が答えたことばから。新しく事業をおこすことに比べて、その事業をおとろえさせないようにし、さらに発展させることの方が、ひじょうにむずかしいこと。ちょっと考えると逆のようでもあるが、物事を安定した状態で保っていくことは、平凡なようだが、それのできる人はむしろ非凡な人といえる。27欢迎下载。 精品文档宋襄の仁(そうじょうのじん)「宋襄」は宗の国の襄公のこと。中国の春秋時代に宗と楚が戦った時に、襄公が、先制攻撃を進言した、宰相の目夷の意見をしりぞけて、敵の布陣をまってから戦って、さんざん敗れ、世間の物笑いとなったことから。無益のなさけ、不必要なあわれみ。また無用の仁義だてをしてひどい目に会うこと。〔出典〕『春秋左氏伝』。多芸は無芸(たげいはむげい)「多芸」は、多くの種類の学問、芸能、また多くの学問や芸能に通じていること。何にでも通じている人は、かえってこれが専門というものをもっていない。浅く広く知っているだけで、深くきわめたものは、なにもないという意味。他山の石(たざんのいし)「他山」は、ほかの山。よその山。自分の石をみがくのに役だつ他の山の石。転じて、自分の修行の助けとなるような他人のことばや行い。自分にとっていましめとなる他人の誤った言行という意味で使われることが多いが、「誤った」ということが問題なのではなく「他の山の」ということが重要である。自分をみがくためには、つねに他の人々と接している必要がある、ということ。蛇足(だそく)「だ」は「蛇」の慣用音。楚の国で、神に仕える下僕たちに大杯に一杯の酒が与えられた。ところがみんなで、のむにはたりない。そこで地面に蛇の絵をかいて、一番早くできあがったものが一人で飲むことにして競争した。一人の男ができあがって、みんながまだかけないのを見て足を付け足していると、他の一人ができあがって足のある蛇はいないといって酒を飲んでしまったことから、無用なもののこと、あるよりは、むしろない方がよい、ことのたとえにも用いる。璧を抱いて罪あり(たまをいだいてつみあり)「璧」はたま。また玉のようにりっぱなもの。「完璧」の「璧」も玉。自分に不相応なものをもったり、不相応なことをしたりすると、とかくわざわいを招きやすいことをたとえていう。「玉を抱く」とは、崇高な大志を胸にひめ、大志をいだくこと。忠ならんとすれば孝ならず(ちゅうならんとすればこうならず)「忠」は、国家や主君に対して臣下としての本分をつくすこと。臣下としての真心をつくすこと。「孝」は、先祖や親などに真心をもって仕えること。孝行。忠も孝も中国で重んじられた徳。主君に忠義をつくそうとすれば、父の意志にさからってしまうので不幸となり、父の意にしたがおうとすれば主君に不忠になるという進退きわまった状態のこと。月に叢雲花に風(つきにむらくもはなにかぜ)待ちに待った月がでてきても、雲が群がってきてその姿をかくしたり花を見ようとしている時、ちょうど桜がさいているのに風がその花を吹き散らすようなことがあるということ。世の中では、良いことには必ず邪魔がはいることのたとえ。【同義】「好事魔多し」。恙なし(つつがなし)無事息災である、ということ。恙とはツツガムシのことで、ダニの一種。ツツガムシ病を媒体する。刺されると化膿し、リンパ腺がはれて全身に赤い斑状発疹がでる。日本でも東北地方の川の流域に発生28欢迎下载。 精品文档し、死亡率の高い風土病として知られていた。現在では薬が開発され死ぬことはなくなった。聖徳太子が髄(ずい)の煬帝に(ようだい)にあてた国書に「日出ずる処の天子、日没する国の天子に書(もう)す、恙なきや」とある。詰腹切らす(つめばらきらす)詰腹とは、自分の意志ではなくて、他から強制されてしかたなくする切腹のことをいう。転じて、強制的に辞職させること。また本人がのぞまないことを、むりにやらせること。失敗を一人の人におしつけて、責任をとらせるといった意味でつかわれる。轍鮒の急(てっぷのきゅう)目前に危急がせまっていること。生きるか死ぬかの危機をむかえること。轍は、車の轍(わだち)、鮒は、フナ。ある時荘子は、ひじょうに生活に困り、裕福な友人のところへ借金を申し込んだ。すると友人が「領地から税金が入ることになっているから、入ったらいくらでも都合しよう」といった。体裁よく断られた荘子はこんな話をした。「ここへ来る途中、轍のなかから鮒がおれに、ちょとでいいから水を運んでくれと頼んだんで、呉の方へいく予定があるから、西江の水をたっぷり運んできてあげるよ、といったんだ。すると鮒のやつ、干物屋でまた会おう、だとさ」〔出典〕『荘子』。天網恢恢疏にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)天網は天の網、天がはりめぐらす網のこと。恢恢は広く大きいようす。疏というのは目のあらいこと。天の張りめぐらした網はあまりにも広く大きいのでその目もあらいようであるが。決してその目から悪事を漏らすことはない。すなわち天の定めた人の道は厳正で、悪いことをした人は必ず罰をうけるものだ、ということ。〔出典〕『老子』。問ふに落ちず語るに落ちる(とうにおちずかたるにおちる)人に聞かれた時には用心してなかなか秘密をもらさないが、何げなく話しているうちに、ふともらしてしまうということ。落ちるとは、人の術中に落ちる、城が落ちるなどと同じで、攻撃され、降参するということ。ここでは秘密を知られることをいう。同病相憐れむ(どうびょうあいあわれむ)同じ痛みや苦しみをもっているものは、なぐさめ、はげましあうこと。また同情しあうこと。「同病相憐れむ同憂相救う」と対になっている。〔出典〕『呉越春秋』。登竜門(とうりゅうもん)「竜門に登る」とよみ、きびしい難関を突破して出世の糸口をつかむこと。「三秦記」、に中国黄河上流にある「竜門」の伝説がみえる。ここの流れはひじょうに急で、魚はほとんどその流れをさか登れないが、ひとたび登れば竜になるという。後漢の末、政治を堕落させる原因となっていた宦官(かんがん)を排除しようとした李膺は、高潔の士として若い官史たちに慕われていた。そして彼に接することを望み「登竜門」と名づけたという。日本に入って「登竜の門」解され、出世の関門をいうようになった。螳螂の斧(とうろうのおの)斉の国の荘公がある日、狩に出かけた。そのとき、一匹の虫が前足をあげて、荘公の車の輪におそいかかろうとしていた。荘公が御者に何という虫かとたずねると「かまきりでございます。この虫は進むことばかりでしりぞくことを知りません。自分の力を考えずに敵にむかうのです」といった。荘公はこ29欢迎下载。 精品文档れに感じ、車を戻させてかまきりをよけてやった。ここから、自分の力をわきまえず、強敵にはむかうこと。〔出典〕『韓詩外伝』。読書百遍義自ら見る(どくしょひゃっぺんぎおのずからあらわる)本を読んでいて意味のわからないとこらがあっても、何度もくり返して読んでいるうちに自然に意味がわかってくる、ということ。『魏略』という書物の注釈にみられる文章。同じところに「読書三余」ということばもみえる。これは、作業が休みになる一年のうちならば冬、一日のうちならば夜、そして雨の日という三つの余暇に読書をせよ、ということ。塗炭の苦しみ(とたんのくるしみ)ひじょうに苦しむこと。たいへんな難儀のこと。塗は土と水と、どろをこてでぬる意の音をあらわす余とをあわせた字。どろのこと。炭はすみ。塗炭の苦しみとは、どろにまみれ、火にやかれるような苦しみをいう。〔出典〕『書経』。トラウマ(とらうま)個人にとって心理的に大きな打撃を与え、その影響が長く残るような体験。精神的外傷。外傷体験。語源は単に「傷」を意味するギリシャ語であったが日本では精神外傷疾患として広く使われている、トラウマになりやすい突発的な事故、災害、他、いじめなど忘れたいけど忘れられなく何かの時に頭をかすめ恐怖に陥る状態。虎の威をかる狐(とらのいをかるきつね)虎が一匹の狐をつかまえ、今にも食おうとしたところ、狐がいった。「虎さん、私を食べてはいけません。食べれば天に逆らうことになりますよ。うそだと思うなら私のあとについてきてください。みんな私を恐れて逃げてしまうから」。虎が狐のあとを歩くと、本当に皆が逃げてしまうので、虎はすっかりだまされてしまったという話。ここから、他人の権勢をかりて、いばる小人物のこと。〔出典〕『戦国策』。飛んで火に入る夏の虫(とんでひにいるなつのむし)自分から進んで自分を滅ぼすようなわざわいのなかにはいりこんでしまう、ということ。夏には、夜行性の蛾や虫が灯火などにあつまってくる。現在は、電灯が多いからそんなことはないが、電気などなかった昔には、火に近づきすぎて身を焦がし死んでしまう虫も多かった。その様子からでてきたことば。泣く子と地頭には勝れぬ(なくことじとうにはかたれぬ)道理を説明してもききめのないこと。泣いている子供には、どんなに道理を説いても無駄で、結局は自分の思いどおりにしてしまう。地頭というのは、平安時代から鎌倉時代にかけて荘園(しょうえん)管理をまかされた荘官のこと。のちには領主化した。寝耳に水(ねみみにみず)まったく思いがけないこと。とくに思いがけない話をきいたときにつかう。眠っているときにいきなり耳に水をそそがれれば、びっくりしてとびおきるであろう。そういう、ひどく驚いた状態をいう。二の足を踏む(にのあしをふむ)ためらって、ものごとを思いきってしないことをいう。「二の足」は、歩きはじめるときの二歩目の30欢迎下载。 精品文档こと。一歩はふみ出したものの、躊躇して二歩目をふみ出せず、同じ場所で足踏み状態になってしまったようすから。背水の陣(はいすいのじん)韓信が趙軍と戦ったとき、前方に敵をむかえ、川を背にして陣を敷いた。しりぞけば水に溺れるところから、決死の覚悟で敵と戦わせるための布陣をいう。ここから意味は、一歩もあとへ退くことのできない絶体絶命の気持ちでものごとにあたること。韓信は「韓信の股くぐり」でも知られる武将。高祖をたすけ、肅何(しょうか)張良とあわせて漢の三傑といわれる人。謀反の罪で殺された。敗軍の将、兵を語らず(はいぐんのしょう、へいをかたらず)司馬遷の「『史記』にある「敗軍の将は似て勇を言うべからず、亡国の大夫は似て存を図るべからず(戦いに敗れた将軍は武勇をかたれない、滅んだ国の主君は存命を願うことはできない)」からきたことわざ。ものごとに失敗した者は、それについて意見をのべる資格が無い、ということ。【同義】「敗軍の将は謀らず」、「敗軍の将、兵を談ぜず」。馬脚を露す(ばきゃくをあらわす)馬脚とは芝居で馬の脚をやる役者のこと。本来は足だけを出していなければならないのに、姿を見せてしまうという意味から、隠していたことがわかてしまう、ということになる。ここから、化けの皮がはがれる。しっぽを出す。隠していたことが知れてしまう、ということ。白眼請願(はくがん・せいがん)「竹林の七賢」の一人である晋の阮籍はことばで人を非難することはなかったが、気に入らないと上目づかいに相手のことを見た。すると白目の部分が多く出るので、このように人をさげすむような目を白眼という。逆に、気に入った相手には、まともに顔を合わせたので、黒目の部分が多く出た。このように親しみをこめた眼を青眼という〔出典〕『晋書』。白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)白髪がきわめて長いこと。またものごとを誇張していうこと。唐の詩人、李白の詩からでたことば。「白髪三千丈、愁に緑りてかくのごとく長し、知らず明鏡の裏、いずれの処にか秋霜を得たる」。当時の一丈は約三・一メートルであったから、三千丈といえば九キロメートルあまり、ということになる。もちろんこれはレトリックであるが、ふと鏡をのぞいて自分の老いを痛感した李白のおどろきがこめられているといえるであろう。破竹の勢い(はちくのいきおい)三国時代の末、晋の軍勢は呉をあと一歩のところまで追いつめた。冬をまって総攻撃をかけよう、と主張する部将に対し、総大将の杜預はつぎのようにいった。「今、我が軍の勢いはひじょうに盛んになっている。竹を割るときのようだ。一筋割ってしまえば、あとはそれにつられて裂けていく」と。ここから、とめようにもとめられないほど、ひじょうに勢いがあること。〔出典〕『晋書』。日暮れて途遠し(ひくれてみちとし)人生の晩年を迎えても、まだ目的をもっていて、それが容易に達成できそうもないこと。「途」は「道・塗・路」とも書く。日が暮れたのに前途はまだまだ長い、ということから来ており、その道のりの長さを強調したことばであろう。また、期日が迫っているのに、やらなければならない仕事ができあがっていないこともいう。「日暮れて道を急ぐ」は期日が迫ってから急に必死になること。〔出典〕『史記』。31欢迎下载。 精品文档百聞は一見に如かず(ひゃくぶんはいっけんにしかず)どんなにことばをつくして説明しても、たった一度実際に見ることには及ばない。人から話をきくよりも、自分の目で見るほうが確かであるということ。〔出典〕『漢書』。人と屏風は直ぐでは立たず(ひととびょうぶはすぐではたたず)人間、世の中をわたっていくためには、ある程度意志をまげて妥協しなければならない、ということ。直ぐとはまっすぐのこと。屏風はまっすぐにしたのでは、ぱたりと倒れてしまう。少しまげてやれば立つ。人間の生き方も同様であるということ。人間もあまりまっすぐで、自分の意志をまげることを知らないと、世の中とのまさつが大きく、いつか倒れてしまうことにもなりかねない。舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ)舟に乗っている時に川の中に剣を落とした人が、舟が川の上を動いていることを考えに入れず、舟ばたに剣を落とした位置の印をつけて剣を探そうとしたという故事による。時勢の移ることを知らず、いたずらに古いしきたりを追い求めることのたとえ。仏造って魂入れず(ほとけつくってたましいいれず)物事をほとんどなしとげながら、もっとも重要な一事が抜け落ちていること。「仏造って眼を入れず」ともいう。「画竜点睛をかく」もほぼ同じ意味。「仏千人神千人」、「仏頼んで地獄へ落ちる」、「仏の顔も三度まで」、仏の心凡夫知らず」、「仏は金ほど光る」など仏を使った慣用句も多い。満を持す(まんをじす)弓を十分に引きしぼってそのまま構えること。それから転じて準備を十分にして、時機の来るのをまつ。また物事の極点に達したままもちこたえること。物事をうまく成功させるためには何事も十分な準備をする必要がある。「満は損を招く」(物事は完全な状態に達すると、やがて不都合なことがおこったり衰えたりするものである)という慣用句もあり「満」の状態を保つことはきわめて難しいこと。水清ければ魚住まず(みずきよければうおすまず)あまり精簾にすぎるとかえって人に親しまれないことのたとえ。江戸時代、わいろ政治で有名な田沼意次が老中の座を退いた後に老中となった松平定信、は倹約を旨として寛政の改革を行った。庶民の衣服や装飾品にまで規定を設けたために、きびしすぎるという声が多かった。その時に詠まれた落首は「白河の清き流れにすみかねて元のにごりの田沼恋しき」であった(松平定信は白河藩主だったから)。まさに「水清ければ魚すまず」というところ。矛盾(むじゅん)「矛」は、ほこ。「盾」は、たて。中国の楚の国に矛と盾を売っている人がいた。この人は、この矛はどんな盾でもつらぬき通すことができるといい、また、この盾はどんな矛でもつらぬき通すことができないといった。そこで、ある人がその矛でその盾をついたらどうなるのかとたずねたので、ほこたてを売っていた人は答えに困ったという故事から。つじつまの合わないこと。事の前後がそろわないこと。〔出典〕『韓非子』。元の木阿彌(もとのもくあみ)一度よくなったものがふたたびもとのよくない状態にもどること。せっかくの苦労や努力が無駄になってしますこと。この句の由来については諸説ある。百姓の木工兵衛が僧に献金して某阿彌の号を得た32欢迎下载。 精品文档が、村人は新しい名で呼ばず、たまに呼んでも、もとの名にひかれて木阿彌などと呼んでしまったということから、など。物言へば唇寒し(ものいえばくちびるさむし)芭蕉の句の「物言えば唇寒し秋の風」からでている。「人の短をいふ事なかれ己が長をとく事なかれ」の後に添えられている句。人の悪口を言った後では、なんとなくさびしい気持ちがすることを表わしている。転じてなまじよけいなことを言えばかえってそのためにわざわいを招くことがあるということ。口は禍の門」も同じような意味。「雉も鳴かずば打たれまい」など、口がまねくわざわいをいましめる慣用句は多い。門前雀羅を張る(もんぜんじゃくらをはる)「雀羅」はスズメなどを捕まえるための網。訪れる人がなくて門前には雀が飛んでいるので、それを捕まえるのに網を張ることができるくらいだということから、門前がひっそりしてさびしいことを形容する言葉。「門前」を使った慣用句も多い。八百長(やおちょう)八百屋の長兵衛、通称八百長という人が、ある相撲の年寄とよく碁を打っていた。長兵衛は年寄にじゅうぶん勝てる腕前を持ちながら、うまく手かげんをして、いつも対戦成績が一勝一敗になるように細工をしたところから起きた。相撲や野球またはその他の競技などの勝負ごとで、前もって勝負の勝敗を打ち合わせておいて、表面だけは真剣に勝負をしているようにみせかけることをいう。転じて、単なるなれあいのことをさす場合もある。良薬は口に苦し(りょうやくはくちににがし)「良薬」はよい薬、すぐれた効能のある薬のこと。ききめがあって良い薬は、苦くて飲みにくいことが多いが、病気をなおすためには必要である。忠言やいさめる言葉はなかなか聞き入れにくいが、その身のためになることをたとえてもいわれる。老馬の知(ろうばのち)中国の春秋時代、斉の桓公が戦争しての帰路、山中で道に迷い立ち往生した時、賢臣の管仲が、このような時には「老馬の知」を借りた方がよいと進言した。そこで放したが正しい道にたどりつき、みんな無事にもどることができたという故事から。経験のある者は物事の方針をあやまらないことをいう。またものにはそれぞれの長所があることのたとえ。〔出典〕『韓非子』。隴を得て蜀を望む(ろうをえてしょくをのぞむ)「隴」は、中国の地名。魏(ぎ)の国の司馬懿(しばい)が、隴の地方を平定し、勝に乗じてさらに蜀を攻めようとした時に、曹操が答えた言葉。一つの望みをとげた後に、さらにその上を望むこと。人間の欲望には限りがないことのたとえ。禍を転じて福となす(わざわいをてんじてふくとなす)「わざわい」の「わざ」は神のしわざのこと。「わい」は「さきわい(幸)」の「わい」と同じで、悪い結果をもたらす神のしわざの意からでている。わざわいをうまくかえて、幸福になるようにとりはからうこと。「わざわいも三年」、「わざわいは幸」など、わざわいに堪えるためのことわざも多い。これも人の世には、とかくわざわいが多いところからきているのだろうか33欢迎下载。 精品文档お魚にまつわることわざ、格言生活の中から生まれたことわざは、数あれど、日本人は世界一、魚類を食している民族なのだ。そんな生活の知恵が生んだ魚にまつわることわざを並べてみた。これ以外にみんなで魚にまつわる諺を作ってみよう。あ秋サバは嫁に食わすなサバは秋になると脂が乗って美味しくなります。嫁に食わせるのは惜しい、という姑の根性を云ったものとも言われていますが、その言葉の裏にはお嫁さんに対する愛情もうかがえますね、(塩焼き、ヌカ炊き、味噌煮、ゴマサバ茶漬け、〆サバ等など)アイゴの隠し針アイゴは毒魚の中でも最も、毒性が強くヒレの至るところに毒針があります。表から見えないところに隠し針があることから、見えない所で悪事を働く事をたとえてのこと(これは勝手に作りました)アンコウの待ち食いアンコウは暗い深海にジッとしていて背鰭のちょうちんをゆらゆらさせて魚を誘惑し、近づいてきた魚をその大口でパクリとやる。だから、自身はデーンと座って動かず目の前に並べられたものを片ッ端から平らげるようなことをいう。会社にもたしかこう言う人いたな!そういえばおいらも、か~ちゃんの胸のボョョ~ンにだまされた。アカエイの吸もの、タコの足夏が旬の食べ物、という意味のことば(アカエイの吸物?タコは照りダコと言うのでわかるがアカエイはちょっとねぇ、今度釣れたらたべてみよ)秋カマス嫁に食わすなカマスの旬は秋、秋サバと同じたとえ(カマスは干したものに限るね、一夜干し最高です!)いいわしの頭も信心からつまらないものでも信心次第ではそれなりの価値を生む「信じる気持ちがあれば…何かを信じる純粋な気持ち…うすくなったな~!いわし七度洗えばタイの味34欢迎下载。 精品文档タイは淡白な味ですが、イワシは脂肪が多く生臭いことから、生臭味をおとせば、イワシでも万ざらではない。タイに匹敵する、という意味です。(たしかに今のイワシは高級魚、いわしハンバーグ大好き!これってゴボウのそぎ切りが愛称イイね)イワシ目ただれサバ腐れイワシなどは鮮度がおちると、とくに目が血走ったようになることからのたとえ、鮮度を見分けるための秘訣だ!おいらも血走っているけどそろそろ棚おちか?磯のアワビの片想いアワビは巻貝だから、殻を二つ持たないため片方の貝に見立てて、片想いの恋愛?あわびは巻貝の仲間でも蓋が無いから同じ殻がもう一つあれば…なのか?磯のカサゴは口ばかりカサゴ類は頭が大きい割に身の部分が少ない(頭でっかちなんとやらと、ちょっと違うか)でも、味は一流、から揚げ、味噌汁、お造りなどたまりませ~ん。一網打尽一つの網で根こそぎ魚を捕獲することから、犯罪者を一挙に捕らえたときなどの事そうか逃げ場を無くして取り尽くす。これは資源が荒廃するわ、必要以外はリリースしよう。う魚の目に水見えず、人の目に空見えずあまり身近にあるものは、どんなに価値があるものでもその価値がわかりにくいということ,いつもおいらの横で支えてくれた人、「灯台下暗し」遠くばかりに目がいって、身近な愛に気づくのが遅かった!かおるちゃん…ちょっと違うような気がするけどいいことにしょう魚は殿様に、餅は乞食に焼かせろ食べ物の焼き方を教えた諺で、餅は焦げやすいので、何回か返しながら焼いたほうがふっくら焼けるが、魚は半身を七分どおり焼き上げてから裏返すのが良く、せっかちに裏返せば身が崩れる。昔の人はいいこと言ったね、アユなんかは強火の遠火で焼けばおいしいっす!海背川腹魚の焼き方の順序を諺にしたもの、川魚のように脂肪の少ない魚は開きにした身の内側を先に焼く、海の魚は皮の方から焼けばよいと一般的にはいっているが例外もあるようです。ちいっちゃいころ、おふくろが病気がちでおいらが炊事洗濯していたな…思い出したよ、むかしを、バス代が10円~15円?の時代、もちろん洗濯機なんかあるわけがない、たらいに洗濯板をおいて、真冬の雪の降る中、親孝行をしていたぞ、このころはみんな働いていたと思う、男のおしんかも…35欢迎下载。 精品文档内ハマグリの外シジミ内弁慶、外弁慶の例え、会社ではハマグリのように大きな顔をして威張っているが、外ではシジミのように小さくおとなしいこと「おかあさんハマグリ、おとうさんシジミ」独活(うど)とニシンウドの酢味噌和えにニシンを添えると、より一層美味になることから、夫婦仲の良いことをたたえたものおいらもこんな夫婦を夢見ていたが現実は(泣き)おいらが悪かった~ウツボとタコ生涯の敵同士(天敵)油と水、犬とサルなど会えば必ず喧嘩をする。食うか食われるかの戦いだが、「ウツボの餌になるのがタコ、タコの餌になるのがカニやイセエビなど甲殻類だ」魚心あれば水心相手の好意が感じとれれば、こちらもその相応の好意を持つたとえあの子の好意が感じ取れれば、おいら、一気に攻めるよ、でもね、その気配無し「みだれがみ、たたいてみても、毛配なし」リー毛21…アートねぃ茶―?鵜川の小アユ鵜飼をする川に住む小アユのように逃げ切れないという意味のたとえ丑の日のうなぎ(土用の日)夏ばて防止に栄養価の高いうなぎを食べれば元気になる。「丑の日」いつごろ誰が考えたか分からない。多分うなぎ屋さんだ!バレンタインもチョコ屋の販売戦略?海に千年山に千年海千山千ともいう、多年、善悪いろいろな経験を積み、悪く言えばずる賢いこと海広くして魚の踊るにまかす度量の大きいことのたとえ、(水広ければ魚遊ぶ)ともいう。こんな人少なくなったよね、せこい人がいっぱいだ!魚を争うものは濡れる利益を得ようとすれば、それなりの苦労がある、ということええ海老でタイを釣る36欢迎下载。 精品文档タイ釣りの餌にエビが最も良い、転じて、わずかの手元で大きな利益を得ることをいう(エビタイ)ともいう「西洋の諺にも小魚を投げて大魚をつかめ」などエビで釣れなかったあの子は何処へ、今だったら、たくさんのマキエを撒いて…つれたかもお沖ハマチあてにならぬこと(ハマチは回遊魚です。いつ来るかわからないたとえ)あの馬に相当つぎ込んだな~買わなかったら連に絡むし、この馬が沖ハマチ(怒)沖の物を獲らんとして岸の物を逸す沖は大漁を、岸は小魚を意味する。大きな利益を得ようとして、わずかな利益をも逃してしまうこと及ばぬコイの滝登り無理しても、できないことのたとえかカニ食ってもガ二食うなガ二はカニの(鰓)エラで、いくらカニが美味しくとも、鰓まで食べることはない、毒は無いが寄生虫などつきやすく汚れている(一見美味しそうだが…実は食べて見たスカスカしていたぞ、味も無かった)カニは甲羅に似せて穴を掘るカニは自分の大きさにふさわしい穴を掘って生活している、ということで、身分相応の仕事、振舞いをするものだ寒ブリ・寒ボラ・寒カレイ最も美味しい魚の旬を諺にたとえたもの、寒鮒、寒スズキなど貝を以って海を測る小さな貝で、海水の量を測ることはできないことから、見聞が狭く、知識の浅いものが大きな問題を議論することにたとえたものカニの穴這入りあわてふためくことのたとえカニの念仏37欢迎下载。 精品文档カニがぶつぶつ泡をふくように、口の中でぶつぶついうこと。ひょっとして野球選手の桑なんとかさんも投球モーション前にブッブッいっていたぞ、しかし、うちの上司カニのカンヅメだ、何も言わなくなった。カニの横這い大半のカニは横這いで敵が現れるとすばやく横に逃げる習性がある。このことになぞらえ自然に逆らわずに行動することが得策であるという意味。泥棒が壁伝いに横に忍び足で歩くのも横這い(夜這いも横這い?)みんなやっちゃだめだょ!「お手手が後ろに回るよ」壁に塗られたタニシ動きがとれないことのたとえカマスの焼き食い一升飯鮮度の良いカマスを浜で焼いて食べれば、食欲は限りないということ(イワシの焼き食い一升飯)昔おふくろが馬鹿の三杯汁なんて言っていたな、お袋の苦労もわからず食べたいだけ食べてた俺、反省遅しき漁夫の利を占めるシギ(くちばしの長い鳥?)がドブカイと争っている内に両方とも漁夫につかまってしまったことから、両者が争っている間に第三者に利益(おいしいところ)を奪われること。金魚にボウフラ好物をそばにおいて置いては気が許せないこと(猫に鰹節)金魚のうんこ金魚の糞が長く連なっていることから、人の後ろからはなれずついて回る様をいうキタマクラでお寝んねキタマクラというフグは猛毒で、間違って食べたら北枕でおねんねになる。毒魚に対する格言く腐ってもタイ質の良いものは少々質が落ちても、その本質や価値が残っているグチをこぼす38欢迎下载。 精品文档ぶつぶつ不平不満をこぼすこと、グチ(イシモチ)は釣り上げるとググー鳴く事からのたとえこコイが踊ればドジョウも踊る自分の身のほどを忘れ、他人の真似をしょうとすることゴマメの歯ぎしりゴマメとはカタクチイワシの幼魚を干したもの、力のないものがやたらと憤慨する事(非力の者がいくら気バッテみてもムダな事)鯉こく食べれば乳が出るコイの栄養価の高いことの言い伝えコイの滝登り人の立身出世をたとえたものさサバを読むサバを読むにはいろいろな説がありますがここではこの説を、サバは腐りやすい魚なので、急いで数えて売りさばく必要があるから、そのときに数をごまかすことが多かったから、自信が無いのにある程度大まかな予想を立てる?サバの生きぐされサバの肉質は柔らかく、血合い血管が多く傷み易い、新鮮に見えても気をつけろという諺三月ヒラメは犬も食わぬ春先、ヒラメは産卵のため接岸するからたくさん獲れます。しかしこのころのヒラメは産卵後で美味しくないことの例え秋刀魚が出るとあんまが引っ込む秋の秋刀魚はまさに旬、これを食べれば元気になり、あんまにかかる必要もなくなる桜が散ったらカキを食べるな39欢迎下载。 精品文档春先の桜が散り暖かくなると牡蠣は産卵にはいり、味がおちるし、傷み易いやっぱり牡蠣は寒牡蠣にかぎるねサルの水練、魚の木登りまったく見当違いのことをする様秋刀魚に大根おろし味の取り合わせがよいこと魚の釜中(ふちゅう)に遊ぶが若し釜の中の魚が釜の水がやがて熱せられ、煮られる運命になる。そうとも知らずにのんびり泳いでいる(蛙の死…カエルが暖かいお湯の中で気持ち良く泳いでいると、そのうち気がつけば熱くなって…物事が調子よくいっているときは浮かれて周りが見えず、浮かれすぎ気がついたときは時既に遅く、なんてね、バブルが弾けたことが象徴しているね)しじゅん菜でうなぎをつなぐどちらもぬるぬるだから、つかみようがないじゅん菜で縛りようがない、ぬらりくらりして要領を得ないことす鮨の辛味はワサビに限る刺身、洗い、すしにはワサビの辛味がぴったりだということ、カツオやアジのたたきにはワサビよりショウガの辛味が合う鮨はコハダに止めを刺すコハダの鮨が一番あきがこないから、ということと、コハダは生くさいので他のものに味を移さないために、最後に食べるのが良い、ということをいうたたタラ汁と雪道は後が良いタラ汁は、煮れば煮るほどタラがバラバラになって美味しくなくなるということと、大勢が通ったあとの雪道は踏み締められて歩きやすいということをかけ合わせた諺40欢迎下载。 精品文档タラ腹食らうタラは何でも食べる貪欲な魚なので、これになぞえて、腹いっぱい食べることをいう。大魚は小池に住まず(流れに大魚なし)大人物はつまらないことであくせく働かないということタイの尾よりイワシの頭大きいところに属して後ろについているより、小さいところの長になったほうが良いタイも独りは旨からずどんなご馳走でも、独りでポッンと、食べたのでは美味しくないこと、雰囲気も味のうちであるということ(ぅ~ん、確かにさびしいもんね、早く嫁さんもらおっ~と!)タコの糞で頭に上がる自分だけはいい気になっているが、他からはいやしめられるたとえタコの共食い仲間同士がお互いに利益を得ようとして、共倒れになること(ひょっとしてパチンコもこれかな?)タイやヒラメの舞い踊り高級魚が次から次に釣れたときの喜びをたとえたものか、クラブでかわいいね~ちやんがおいらの周りになぜかいっぱいの現象?つ月夜のカニカニは水底に写る自分の姿を恐れ、身がやせるという伝説がある釣り逃した魚は大きい釣り上げそこなったものは、より過大に評価したくなるというたとえ(逃した魚は大きい)て照りゴチ照りダコ41欢迎下载。 精品文档コチとタコは夏が旬、水潮に弱く、梅雨は大の苦手、カーッと、熱くなるとよく釣れることをたとえたものととどのつまり(オボコ、イナ、ボラ、とど)ボラが出世魚として最後にとどになるから、“つまるところ”、“結局”などの意に用いられる副詞(おいらの嫁はんオボコやったのに、今やトドだ!)とにかくメダカは群れたがるメダカのように弱小のものは群集を作ることで安心するな菜種フグは食べるな菜種の花が咲くころはフグの産卵期に入り、卵巣に毒を持っているふぐは更に毒性が増すことからのたとえ夏座敷とカレイは縁側が良いカレイの縁側は、背ビレ、腹ビレの付け根にある細い柱のような肉のある部分のことで、この部分の肉は身がしまっており、特に美味であることを、夏座敷の縁側とからげて言い表した諺夏のハマグリは犬も食わぬ夏はハマグリの産卵後にあたり、味がおちることを示した諺、(三月のヒラメは犬も食わぬ)夏はカツオに冬はマグロカツオとマグロの旬をあらわした諺にニシンに昆布とりあわせが良いことの例ぬ塗り箸でナマコ(うなぎ)はさむ42欢迎下载。 精品文档塗り箸はすべりがよく、ヌラリとしたナマコははさみようがないことから、転じて無意味な骨折りをさす諺(塗り箸でうなぎをはさむ)ね猫にサザエ手が出ない、どうしょうもないこと猫を追うより魚をのけよ枝葉の面の工作をするよりも、物事はその原因を考え対処したほうがよい、ということ猫にカツオ節鰹節のような猫の大好物を、猫のすぐそばにおいておけば、いつ食べられるかわからない、このようなことから、間違いを起こしやすい状態を言うの喉元すぎればタイもイワシも同じこと食べるときの味は違っても、胃の中に入ってしまえば全く変わり無いと言うことを転じて、ある程度以上では物の差があまりなくなるという諺は畑にハマグリ手にいれにくいことのたとえ、見当違い、出来そうに無いことを望むことハゼの洗いは嫁に食わすな秋サバは嫁に食わすなと同じハゼば飛んでも一代、うなぎはぬめっても一代どのような生活をしようとも、一生はみな同じであるということ花見すぎたらカキ食うな5月~8月は牡蠣の産卵期に入り、味がおち、温度の上昇により痛みも早いハモ一期、エビも一期ハモのように滑るように泳いでも、エビのように飛び跳ねる一生を過ごしても、所詮、一生は一生であるということ43欢迎下载。 精品文档ひ左ヒラメ右カレイヒラメとカレイの区別は、色のある側を上にしてみたとき、眼が(頭が)左側になればヒラメ、右側にくればカレイ(違うのもおるかも)彼岸の中日にハゼ食べれば中気にならぬ秋のお彼岸頃に釣れるハゼの旬(美味しさ)を伝えた俗説人は武士、柱はヒノキ、魚はタイ武士の身分、つまりエリート性をうたったものひょうたんナマズのらりくらりしてつかみ所が無い、要領を得ないヒラメ40ヒラメを釣るときは、魚信があっても慌てず40秒待つぐらいの気持ちでないと釣れない。でもね、場合によっては一気に飲み込み、竿が締め込まれる、これは本当たりだから合わせるべき、確かにヒラメは餌のイワシやアジを咥えてから少しずつ呑みこむようです。だから早合わせはバラシの元になるということふフグ一尾に水一石フグは肝臓、卵巣に猛毒があるので内臓を除いてから、水で良く洗い流すという古い伝承フグ食う無分別、フグ食わぬ無分別毒があるからといって食わず嫌いになるのも、不注意にフグを食うことも、分別が無いということフグ食いたし命は惜しいフグの味の良さと、その毒の強さをうたったもの、転じて、利益もほしいが損もしたくない、両立しないたとえま俎板(そじょう)のコイまな板のコイ44欢迎下载。 精品文档コイを俎板の上に乗せると観念したかのように、動かないで堂々としている様。いざというときに慌てずに肝の据わった行動をとる。み水清ければ魚住まずあまりにきれいな水には、魚が住んでいないことから、あまりに頭の切れる人には他人が近づかないこと、おいらの周りには集まるから、ひょっとして頭が切れていないと言うことか水積もって魚集まる水がたくさんあるところに、自然に魚が集まってくるように、金儲けできそうなところには自然に人が集まってくるむ麦の穂が出たらアサリ食うなアサリ、ハマグリ、牡蠣など二枚貝は、夏には中毒になりやすいので食べないほうが良い、又、味もおちる。浜辺にハマグリがあれば真夏でも拾って持ってカエル麦ワラタコに祭りハモ初夏のタコと夏祭りの時季のハモ料理ということで味がのっている(旬)この時季のタコやハモがいかに旨いかとたとえめメバルの夜遊びメバルは一般的に昼は物陰に潜んで、夜になると活発に活動する。これを人にたとえると、昼は、どこにおるか分からんが、夜になると俄然張り切りる夜光型人間!こんな人達のことや焼き魚は強火の遠火魚を上手に焼く場合は、強火の遠火で短時間に焼き上げると水分やうまみが逃げないが近いと皮ばかりが焦げてしまうので魚を美味しく焼くコツをたとえた柳の下にいつもドジョウはいない45欢迎下载。 精品文档一度良いことがあっても、同じことはそうそうにない(昨日釣れたからと言って同じ場所で今日も釣れるとは限らない)でも行くんだなこれが人間は欲の塊だ山の芋変じてうなぎとなる身分の低いものが出世するたとえ、突拍子のないことのたとえ山笠にタコ踊る山笠は夏の風物詩、夏がくればタコが美味しくなるたとえ【魚心あれば水心】意味:出典は関取千両幟。相手が好意的であれば、こちらもそれなりに応ずる。相手の出方次第ということ。〈水魚の交わり〉も同じ。【魚の木に登るが如し】意味:不可能なこと。勝手が違ってどうにもならないとの意。魚が木に登れるはずはないからである。〈魚の陸に上がれるが如し〉〈魚の水を離れたるがごとし〉〈木から落ちた猿〉も同意。出典は平家物語。【魚の目に水見えず、人の目に空見えず】意味:水の中の魚が水を意識しないように、人間も空気の貴重なことを知らない。つまり、身近にありすぎるので、かえって有難味を忘れること。【魚を得てウエを忘る】意味:目的を達すれば、その因となった道具、手段、また人の協力などは忘れがちになってしまうものだということ。〈雨晴れて笠を忘れる〉〈病いえて医者忘る〉〈のど元すぐれば熱さを忘る〉も同じ。『ウエ』は竹製の漁具。出典は荘子から「日本の諺中国の諺両国の文化の違いを知る」陳力衛[腐っても鯛(くさってもたい)]日本人は昔から海の鯛、川の鯉、鳥の鶴を食物の三尊と呼んでいた。そして、マダイは目出度い魚とされ、祝いの席に供される。「魚は鯛、人は侍、木は檜」のように大変すぐれた価値を持つものとして先人の評価が込められている。その鯛が少々腐っても、「本来優れた価値を持つものは、おちぶれてもそれなりの値打ちがある」というわけである。一方、中国にも同様に「痩死的駱駝比馬大(痩せ細ったラクダであっても馬よりは強い」という言葉がある。砂漠という過酷な環境下では、どんなに痩せ衰えたラクダでも馬とは比べ物にならない程の力と忍耐強さがあるという砂漠地帯特有の知恵を盛り込んだ諺である。中国の明清小説にもよく使われたこの諺は、漢民族の文化に由来するのではなく、明らかに西域の自然から生まれたものと言えよう。[猫に小判]動物を題材にした諺は、どの言語にも多くみられる。動物に人間の言いたいことを代弁させるのは、それだけ人間の日常に動物が密着していることの証とも言えよう。この諺もそうだ。周知のとおり「客観的にどんな価値のあるものであっても、そのことのわからない46欢迎下载。 精品文档人にとっては何の役にも立たないこと」がその意味するところである。結局、猫を引き合いに出しながらも、人間のことを言っているのだから滑稽である。「豚に真珠」は聖書に出てくる「Don"tcastpearlsbeforeswine真珠を豚に投げてはならない」から変わってきたものだから、洋の東西を問わず動物を見下していることがわかる。中国では、「対牛弾琴」人を助ける働き手として不可欠で実用的な牛・馬などの大型の動物を使っており、西洋では、それらの中間の大きさの豚を使っている点が特徴的である。[一石二鳥]この言葉は中国由来ではなく、英語「Killtwobirdswithoneston」を直訳した和製漢語である。ただ、この種の喩は中国にはいくつもある。ヨーロッパでは石で鳥を撃ち落とすのに対して、中国のほうは「一箭双雕」という、一本の矢で獰猛な鷹二羽を射落とす相応の表現がある。モンゴルの英雄譚によく出てくるチンギスハンもそれを成し遂げているという。[疑心暗鬼]中国春秋時代の『列子』にはこういう話がある。ある男が斧をなくした。男は隣の息子が盗んだのではないかと疑った。隣の息子を観察してみると、歩き方も顔色や言動もいかにも斧を盗んだように見える。のち、男が自分の窪地を掘り起こしていたら、偶然なくした斧が出てきた。後日、また隣の息子を観察してみると、動作や態度に怪しい点はなくなっていたという。中国語では、宋の時代から「疑心生暗鬼」や「疑心生鬼」などの形で使われていたが、のちに「疑神疑鬼」のほうが主流となる。明代の『農政全書』に「壒妄信流傅謂氣所化是以疑神疑鬼甘受戕害(世のうわさをいたずらに信じ、疑神暗鬼して害を甘んじて受けることになる)」の例がある。形態的には現代中国語の「疑心暗鬼」に比べて、中国古典の形を受け継いでいるのはむしろ日本であろう。同音異形の「阪神半疑・疑神暗鬼は毎度の事」のような使用は野球ファンの焦りと苛立ちを活写しいるものとして言い得て妙なところであろう。[難兄難弟]日実力が拮抗し、優劣の判断がつきにくいさま中肉親以上に固い絆で結ばれた男の友情47欢迎下载。 精品文档[鶏鳴狗盗]日つまらぬ芸でも役に立つことがある中コソ泥や人だまし[呉越同舟]日他人と居合わせること中敵味方が協力して共通の目標を目指す[朝三暮四]日人をだますこと、生活の糧中ぐるぐる変わりやすいこと[天衣無縫]日純粋で無邪気な性格中物事が完璧なさま[八面玲瓏]日表裏なく美しいさま中八方美人、独自性のない人[万事休す]日絶体絶命の窮地、おしまいだ中何事もなく、すべてを忘れる[風流韻事]日詩歌、書画、華道、茶道などの風流な遊び中男女の色事、ロマンチックなこと48欢迎下载。 精品文档欢迎您的下载,资料仅供参考!致力为企业和个人提供合同协议,策划案计划书,学习资料等等打造全网一站式需求49欢迎下载。